独りよがりのつぶやき

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瑞石山永源寺

H28.11.21(月) その7  1 2 3 4 5 6 7

永源寺は、南北朝時代の康安元年/正平十六年(1361)に創建された。

開基は近江国の守護の佐々木氏頼(六角氏頼)、開山は入唐求法の高僧
寂室元光(じゃくしつげんこう。正燈国師)。臨済宗永源寺派の本山寺院で、
紅葉の美しさは近江随一とか。

百済寺から永源寺に向かうタクシーのなかで、運転手さんは「一番好き
なお寺さんです。どうぞ、ゆっくりご覧ください」と話された。

湖東三山を巡った後なので、皆疲れもあったのだろう、何度か小休止し
ては、愛知川(えちがわ)の渓流や参道沿いの紅葉を楽しみながら、ゆっ
くりと山門へ向かった。


 総門  門の両側の塀には5本の定規筋が・・・なぜか気になる。  

1611211446 永源寺


 山門  壮麗かつ重厚。圧倒される。 滋賀県指定有形文化財

1611211418 永源寺


1611211443 永源寺

 
1611211420 永源寺


 庫裡  昭和54年(1979)に改築。

1611211439 永源寺


 方丈(本堂)  寂室禅師650年遠諱で、本尊世継観音をご開帳。

永源寺: 本堂


 禅堂  正燈国師の諡号が贈られたことを記念しての再建  

1611211421 永源寺


 法堂(はっとう)  紅葉に負けじとばかり五色幕

永源寺:法堂


1611211436 永源寺


 開山堂  回廊、開山お手植の楓、新築の含空院常住etc.  

1611211431 永源寺:開山堂


1611211433 永源寺 (1)


今日の紅葉探訪は、龍潭寺にはじまって、湖東三山、そして永源寺と盛
りだくさん。歴史が最も新しい永源寺だったが、禅宗のお寺さんの故か、
湖東三山とはまた異なる趣きが漂っていた。存分に堪能させてもらった。

今回のツアーのお目当ての一つは、「近江牛食べ放題」。今日の最後の
メニューが、まだ残っている。

やや疲れ気味だったが、みんなで「近江牛が楽しみだね」とお喋りしな
がら何とか元気を取り戻し、牛にひかれて、いやタクシーに乗って、ホ
テルへと向かった。


.
寂室禅師の「寂室」は、幻住道人と号した中峰明本(ちゅうほう みょうほん)禅師
ら授けられた道号とか。寂室禅師は、世俗から離れ、生涯黒衣の平僧として過ごし
たという。

永源寺の総門の両横には、寺格の高さを示すという 5本の定規筋がひかれた塀があ
る。境内案内によれば、総門は永源寺の創建当初よりあり、兵火や火災に遭った後、
延享7年(1746)に再建され、現在に至っているとのこと。

この塀は、はたして、創建当初から5本線がひかれていたものだったのだろうか。

寂室禅師の遺誡の中では、建物を「茆庵(ぼうあん)(かやぶきの庵)と称している。
寂室禅師からすれば、寺格が高いとか低いとかいうことは全く眼中になく、5本線
入りの塀は、再建時に造られたものではなかろうか。

どうでもよいことなのかもしれないが、あれこれ推測しては楽しんでいる。

 〝寂室の滞在所〞から、〝永続的な寺〞へ - 特別陳列「六角氏と永源寺」(p.7)



臨済宗永源寺派 大本山 永源寺  境内案内   臨済・黄檗 禅の公式サイト

  永源寺 高野村にあり・・・。開山は寂室大和尚・・・或時江州へ來り給ひぬ。
  國の守佐々木六角判官源氏頼崇永居士厚く信仰す。今の寺院幷仁王門の前熊原
  を寺領に寄附す。伽藍建立す。開山年七十一。後光嚴院御宇康安元年辛丑正月
  十八日入寺し給ふ。道徳四方に聞へ、天下の名僧も多く集、衆僧二千人に及べ
  り。

   ・・・
   瑞石  一圍五六尺ばかり。
   ・・・
   世纘觀音 當寺の境内にあり。緣起に曰、・・・寂室大和尚唐の悟都管とい
   ひしものをまねきて、唐の靈地の土にて作らしめ給ふ尊像也。

      - 『近江国輿地志略』 下 -国会図書館DC  p.177~
   ・ 佐々木氏頼入道崇永命して永源寺を永續せしむ - 近江愛智郡志. 巻1
   ・ 圓應禅師の永源寺開基と佐々木氏頼の後援 - 近江愛智郡志. 巻1
   ・ 永源寺 - 近江愛智郡志. 巻5
   ・ 瑞石の余芳 - 国会図書館DC
  特別陳列「六角氏と永源寺」(2005.8.27~10.2)  - 栗東歴史民俗博物館
   ・ 寂室禅師は、弟子に対する最後の誡めで、自らを埋葬した後は、永源寺
    のある熊原の地は氏頼に返上するとともに、建物は地元高野村に付与し、
    弟子たちはそれぞれ「林下」に散じ去れと述べている。
     寂室にとって永源寺に住することは、あくまでも氏頼との個人的な関係
    に基づいた一時的なことにすぎず、決して「林下」としての在りようを枉
    げて権門の支援で生きることを意味しなかった。
     だからこそ、寂室の死により二人の関係が消滅すれば、それに伴う諸々
    のしがらみを清算し、弟子たちには今までどおり林下としてのあり方を実
    践し続けるようにと述べているのである。
(p.5)
   ・ (コラム)世継観音と六角満高
     後世、満高の誕生は、永源寺の本尊観世音菩薩の功徳であるとする話が
    広く伝えられるようになった。これについて中世にさかのぼる資料はしら
    れないが、氏頼の晩年の寂室への帰依と劇的な満高の誕生、永源寺を支え
    続けた六角氏のイメージが、この話を生むにいたったのだろう。
(p.18)
  永源寺文書(八千七百四十七通)(重文) - 文化遺産DB
  観峰館特別企画展『永源寺に伝わる書画』のご案内 - 行事案内
   ・ 永源寺に伝わる書画 公益財団法人 日本習字教育財団 観峰館
   ・ 十王図一堂、永源寺の書画展示 東近江で重文含む68点 - 京都新聞 2016.11.18
  子宝本尊、27年ぶり公開 滋賀・永源寺 - 京都新聞 2016年11月18日
  永源寺 - 小杉放菴『琵琶湖をめぐる』

六角氏頼  六角義信  六角満高  京極高詮   - Wikipedia
 
  永源寺 湖東の有力者たちが信仰 -びわこの考古学 第2部 34
   ・ 「当時於武家聊敬仏神知道理者也」(『後愚昧記』応安3年6月7日条)
       - 特別陳列「六角氏と永源寺」

   ・ 特別陳列「六角氏と永源寺」 - 栗東歴史民俗博物館 平成17年度
  佐々木氏頼  氏頼の崇佛  - 近江蒲生郡志.巻2 - 国会図書館DC
   ・ 古典への招待 【第56回:佐々木道誉――『太平記』の内と外】
    巻二十九「八重山蒲生野合戦の事」は天正本独自の増補・・・。この章段
    の冒頭には、「当国守護佐々木大夫判官氏頼、両殿(注、尊氏と直義)の
    不快に一身の進退定めがたく思ひけるにや、去んぬる[観応2年(1351)]
    六月二十五日に出家遁世の身となつて、高野山に閉ぢ籠る」とあり、進退
    に窮した佐々木の本宗(六角氏)氏頼が、尊氏派優勢の中で、直義派であ
    ることに徹しきれず、出家の道を選んだことを語っている。

   ・ 文和二年[正平八年 1353]六月九日・・・爰に佐々木惣領氏頼、其の比
    遁世にて、西山邊に隠居たりける間、舎弟五郎右衛門尉世務に代て、国の
    権柄を執しが・・・

     - 山名右衛門佐為敵事付武蔵将監自害事 -太平記下 巻32 国会図書館DC
  氏頼和歌に長ず - 近江蒲生郡志.巻2 - 国会図書館DC
    ふる雪に鳥たち尋て今日いくかかたのゝみのをかりくらすらん 源氏頼 
    かち枕うきねも寒き浦風に夢をさそひてなく千鳥哉 源氏頼
    いたつらに待はくるしき偽をかねてよりしる夕暮もかな 源氏頼
    別にも待にも心身にそはて今は月みるあかつきもなし 源氏頼
    うき事はいつと秋をも分ぬ身に憂事を哀我にや限るらん 源氏頼

寂室元光 - Wikipedia  開山寂室禅師(正燈国師)  寂室元光(おかやま人物往来)  

  禅語「死在巌根骨亦清 - 臨済・黄檗 禅の公式サイト
   ・ 西田幾多郎書斎「骨清窟」 - 石川県西田幾多郎記念哲学館
  法話「大自然を師となす孤高の禅僧」 - 臨済・黄檗 禅の公式サイト
  法話「韜晦の家風」 - 臨済・黄檗 禅の公式サイト
  法話「金蔵山の壁に書す」 - 臨済・黄檗 禅の公式サイト
  「寂室元光墨蹟(風撹飛泉詩)」(重文) - 文化遺産データベース
    風攪飛泉送冷聲  風飛泉を攪(かい)て冷聲を送る、
    前峯月上竹窓明  前峯月上(のぼ)つて竹窓明かなり。
    老來殊覺山中好  老來殊に覺ふ山中の好(よ)きことを、
    死在岩根骨也清  死して巖根にあらば骨もまた清し。
   ・ 永源寂室和尚語録原文  ・ 國譯永源寂室和尚語録
  「寂室元光消息(極月廿四日)」(重文) - 文化遺産DB   e国宝
   ・ 昔の手紙の書き方 京都国立博物館 Kyoto National Museum
  「寂室元光消息(二月九日)」(重文) - 文化遺産DB
  「寂室元光遺誡」 -國譯永源寂室和尚語録 / 4
    汝等余の氣の絶ゆるを見ば・・・然る後、熊原を把(と)つて太守に還し、
    茆庵(ぼうあん)を以て高野の父老等に付與して各自に散じ去れ・・・

   ・ 「寂室和尚遺誡」(重文) - 文化遺産DB  ・ 遺誡 - 近江愛智郡志. 巻1
  「寂室元光遺偈」 -國譯永源寂室和尚語録 / 4
   ・ 「寂室元光墨蹟(遺偈/貞治六年九月一日)(重文) - 文化遺産DB
  開山勅諡円応禅師寂室和尚御伝記 - 国会図書館DC

柳田聖山『霜葉は二月の花よりも紅い―永源寺』
   - 井上靖監修『私の古寺巡礼 4』(光文社 知恵の森文庫 2005) p.80~


  永源寺は、近江路にある多くの名刹のうち、唯一の禅寺である。しかも、
  ここははじめから、四来の修行者のために、一夏一冬、安禅弁道の場所とし
  てひらかれた。あるいは、皇室の離宮、あるいは古い台密の寺を改めたとこ
  ろとはちがう。有力な貴族や武家の氏寺として、その家運をいのる道場でも
  ない。
   だいいち、ここには土塀というものがない。黄色い五本の横線をかさねる、
  あの大本山の土塀は、妙に人をよせつけぬ威圧感をもつ。それは、僧兵の横
  行や強訴から身をまもる、中世の政治的必要悪であったかもしれないが、は
  じめから、政治権力と無縁のこの寺には、土塀の必要がなかったのである。
   寂室は、この山峡の雲と霧と、そして谷あいの段丘に散在して生きる、人
  々の道心にむかえられてここにくる。開山の眼には、山も人も菩薩であった。
  さもなくて、どうしてあの遺偈が生れよう。

    屋後の青山、檻前の流水。
    鶴林の双趺、熊耳の隻履。
    また是れ空華、空子を結ぶ。

   くりかえし、この偈を味わってみるがよい。永源寺は、この句に尽きる。





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