独りよがりのつぶやき

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釋迦山百濟寺

H28.11.21(月) その6  1 2 3 4 5 6 7

百済寺の「百済」は、百済大寺百済寺(枚方市)の場合とは異なり、「くだら」
ではなく「ひゃくさい」と読むということを、旅行前の下調べで初めて知った。

素直に読めば「ひゃくさい」の方が自然であるが、「くだら」と読むように教え
られて以来、「ひゃくさい」とは読まないものだとばかり思い込んでいた。

百済寺は、創建当初から「ひゃくさい寺」と呼ばれていたという。が、創建時
の寺号は「くだら寺」であったとする解説もある。

どちらが正しいか知らないが、いずれにしても百済寺は「近江の最古級寺院」。
宣教師ルイス・フロイスが「地上の天国」と称賛した境内を、ゆっくり歩いた。


 本坊喜見院表門

1611211314 百済寺:本坊表門


 本坊喜見院庭園

1611211317 百済寺:池泉回遊式庭園


1611211322 百済寺


 (右)本坊喜見院書院と(中)不動堂 

1611211327 百済寺:(右)本坊


  「戦国歴史ロマンの大舞台」(説明板)

1611211328 百済寺


 展望所からの眺め

1611211329 百済寺:展望所から


 弥勒坂

1611211333 百済寺


 落葉敷き詰め

1611211334 百済寺


喧騒の場から少し離れたところに、静かなたたずまいの空間が広がっていた。

長い歴史を経てきた百済寺。紅葉の時季を避けて再び訪ね、近江の歴史や景
色や仏像に、こころゆくまで触れたいと思いながら、湖東三山を巡り終えた。


.
釈迦山百済寺HP  ・ 百済寺 - Wikipedia   ・ 東近江市観光パンフレット

   7) 「ひゃくさい寺?」か「くだら寺?」 - 百済寺HHP>縁起
     「百済寺は創建当初以来「ひゃくさい寺」と呼ばれていた」
   百済寺・東近江市 [滋賀文化のススメ]  
     「建立当時は・・・「くだらじ」と呼ばれていた」
   滋賀県・紅葉の湖東 -朝日放送「歴史街道~ロマンへの扉~」 2002.11.26(火)放送
     「創建当時は「くだらじ」と呼ばれていた」
     「平安時代の永久年間(1113~18)・・・このころに寺の呼び方が「くだ
      らじ」から「ひゃくさいじ」に変わったようである」

    ・ 百済の呼び方について - Yahoo!知恵袋
    ・ なぜ日本では「くだら」と読むようになったのか - レファレンス協同DB
    ・ 「百済」は、百の部分が ‘く’ でしょうか、‘くだ’ でしょうか - Yahoo!知恵袋
    ・ 大安寺 -Wikipedia大安寺HP吉備池廃寺跡大和吉備池廃寺(百済大寺跡)
    ・ 百済寺 (奈良県広陵町)  ・ 百済寺 (枚方市)   ・ 百済郡 - Wikipedia

   釈迦山百済寺 - 滋賀県観光情  ・ 百済寺境内  ・ 百済寺本堂  - 文化遺産
     オンライン
  ・ 百済寺本坊喜見院書院  - 文化遺産データベース
   近江百済寺五重塔跡 - 日本の塔跡<日本の塔婆<「がらくた」置場 by S_Minaga
    ・ 布目瓦片多く出づるも瓦當を得ず - 近江愛智郡志 巻5 p.3
   湖東三山百済寺に秘められた北緯35.1度線上のノスタルジア
     - 『新・湖国探訪 近江の不思議』 その32(しがぎん経済文化センター 2013.9)
   その参 百済寺(東近江) 渡来人の思い結集 - 読売新聞 2014.3.4

   百済寺 - 近江国輿地志略. 下(巻49至100) p.174
    ・ 百濟寺 百濟寺村有。釋迦山百濟寺と號す。縁起曰、推古天皇十五年〔607〕
     丁卯聖徳太子御草創、百濟國僧惠聰、道欣、觀勒等、依太子命初住、因以寺號
     百濟・・・。

    ・ 花の樹 南花澤村にあり・・・。上宮太子百濟寺を建立し、自誓て曰。吾建立
     する所の百濟寺、益繁榮相續して退轉せずんは、此異樹茂榮して、春秋二季の
     彼岸に花咲べしとて、供御の箸を二本南北二村花澤に壹本づヽ突さし給ふに、
     斯の如く繁茂すと云云。

      ※ 柳田国男『日本の伝説』>御箸(おはし)成長>花の木 -青空文庫
         近江国では、聖徳太子が百済寺(くだらじ)をお建てなされた時に・・・
   百濟寺 - 近江愛智郡志 巻5 p.202~
    ・ 百濟寺は角井村に在り・・・同年〔明應七年(1498)〕再建の觀進帳序文に
     よれば推古天皇法興元年〔591〕聖徳太子の御願により創建され、十一面觀世
     音を本尊とし・・・云々と見ゆ。

    ・ 舒明の十一年〔639〕より二年後の同十三年〔641〕に近江國にて百五十六町
     五段餘の地を同天皇が百濟大寺に御施入ありしこと大安寺資財帳に見え、當郡
     に一百町の地其寺領たれば百濟大寺の寺領内に別當の一支寺を建て同じ百濟寺
     の名を稱せしに非ずざるかとも思はる。その何れにするも近江國内最古の寺院
     とす。
 p.203
        - 大安寺伽藍緣起流記資財帳 -群書類従 新校.第十九巻 p.74 p.85
    ・ 15 近江の百濟人 天智紀四年(665)條に・・・また八年(669)條
     ・・・とあり。これ等は、本國の滅亡によりて歸化したるものとす。後世愛智
     郡角井村に百濟寺あり、此等百濟人の建立なるべし。

        - 姓氏家系大辞典. 第2巻 p.2072
    ・ 延暦寺無動寺領となる百濟寺 建暦3年(1213) -近江愛智郡志 巻1 p.306
    ・ 百濟寺文書 勸進沙門敬白 永正三年(1506) - 滋賀県史 第5巻 p.259
    ・ 百濟寺の囘祿と勸進 - 滋賀県史 第3巻 p.118 -国会図書館DC
    ・ 百濟寺の燒撃 - 滋賀県史 第3巻 p.274 -国会図書館DC

   百濟寺伽藍御放火之事 天正元年(1573)4月11日
        - 信長公記. 巻之上(巻之六(元龜四年癸酉))
     七(四)月七日 信長公 御帰陣其日ハ守山ニ御陣取是より直に百濟寺へ御出で
    二三日御逗留有て 鯰江之城に 佐々木右衛門督被楯籠 攻衆人數 佐久間右衛門尉
    蒲生右兵衛大輔丹羽五郎左衛門尉柴田修理亮被仰付四方より取詰付城させられ
    候近年鯰江之城百濟寺より持續一揆同意たるの由被及聞食 四月十一日百濟寺當
    塔伽藍坊舎佛閣悉灰燼なる哀成様不被當目其日岐阜ニ至て御馬被納候キ 公儀右
    之不被休御憤御憤終ニ天下御敵たる之上定而湖境として可被相塞其時の爲に大
    船を拵五千も三千も一度ニ推付可越の由候て

    ・ 近江愛智郡志 巻2>第九篇 安土挑山時代>総論 p.159>p.160
      信長近江入りの初めに百濟寺に寄せし禁制條文中に今より同寺を祈願寺と
      すとの一條さへあるに此の放火を敢てせしめたるは寺僧自から求めし災害
      と謂ふ可し

    ・ 近江愛智郡志 巻2>第九篇>第一章 織田信長百濟寺に禁制を寄す p.162 p.164
      當寺を我祈願所といふに至りては信長として破格の言なり。信長をして此
      の破格の言を爲しめし裏面には百濟寺の勢力亦他に優越するものによらず
      んばあらず。

    ・ 近江愛智郡志 巻2>第九篇>第七章 鯰江貞景鯰江城を修して佐々木義治を迎え
     居らしむ;附落城と百濟寺の放火 p.174
 p.175
      百濟寺一山の僧徒延暦寺の關係により義治を援け城頗る堅固となれり・・・
      信長は更に百濟寺僧徒が鯰江城を後援するを探知し十一日火を放ちて同寺
      一山を全焼せり。

    ・ 近江蒲生郡志 巻10>第七編>第八節 義治鯰江城に拠る p.80
      城固くして陥らず先づ附近に砦を築きて對抗す、然るに百濟寺の衆徒は窃
      に一揆に通じて種々の便宜を與ふるを聞き十一日火を百濟寺に放たしむ一
      山の堂塔伽藍坊舎悉く侭盡く灰燼となれり、



百済寺破壊 - ルイス・フロイス書翰(1573.5.27(天正元.4.26)付け)

  信長當地より近江國に歸りたる後坊主の他の大学〇百済寺[Facusanngi]。を破壊す
  べき適當なる機会を求めゐたり。此大學は戰争の難に遭ひ、又兵士の狼藉を被らざ
  ること六百年なるが故に、従前よりも富み且繁昌せり。此大學はファクサンジと稱
  し多數の僧院あり、又互に獨立し、富者の必ず有する座敷及び庭を備へ、地上の天
  國をなせる住屋千戸あり。




  (※ 以下の画像は、本やネット上のを使わせてもらいました。)

本尊十一面観世音(左)・本尊両脇佛(中)・金銅百濟佛 如意輪観音(右)

 本尊十一面観世音本尊両脇佛金銅百濟佛
  近江愛智郡志. 巻5>亀井村>百濟寺 p.202~


聖観音坐像(左)・如意輪観音坐像(中)・金銅弥勒半跏思惟像(右)

 聖観音坐像如意輪観音坐像弥勒菩薩半跏思惟像
  (左) 岡部伊都子ほか『古寺巡礼近江 6』(淡交社1980年) 図版 8
  (中) 岡部伊都子ほか『古寺巡礼近江 6』(淡交社1980年) 図版 9
  (右) MIHO MUSEUM>2011 秋季特別展 神仏います近江 天台佛教への道
  ※ 伊東史朗『百済寺十一面観音像について』 - 朝日新聞出版『國華』 第1407号
    ・ 観仏日々帖 ~「国華」に掲載、秘仏・百済寺十一面観音像の調査論文
   「さまざまな点で異質で、むしろ・・・自鳳時代の金銅佛との間により親近性がある」


阿弥陀如来坐像

 阿弥陀如来坐像阿弥陀如来坐像
  (左) 岡部伊都子ほか『古寺巡礼近江 6』(淡交社1980年) 図版 10
  (右) 寺宝-天台宗 湖東三山 釈迦山 百済寺 公式サイト


日吉山王神像(部分)(左)・信楽古壺(右)

 日吉山王神像(部分)信楽古壺
  (左) 寺宝-天台宗 湖東三山 釈迦山 百済寺 公式サイト
  (右) 岡部伊都子ほか『古寺巡礼近江 6』(淡交社1980年) 図版 25



水上勉『湖東三山訪記 近江
     - 『古寺巡遊』 水上勉紀行文集 第三巻 (昭和58年 平凡社) p.266~


  ・ 百済寺は三山の中でも、信長の焼き討ちで、伽藍堂宇をすべて失っているから、
   建物として見るべきものはない。昔の面影は、古石段の参道にしのぶしかない
   が、本堂移築の際に土中から発見された古信楽の壺と弥勒像を寺宝としている。
   壺の名を「うずくまる」というそうだが、眺めていると、形といい、肌といい、
   何ともいえぬ深さが、壺を知らぬ私にもわかるようであった。鎌倉期に三重塔が
   建っていた礎石のあたりから出たという。中にはガラス玉その他の飾り物が粉末
   状になって在った。仏舎利を入れた壺だろうと御住持は説明してくれた。弥勒菩
   薩の像は鎌倉期の作といわれている。形は京都太秦の広隆寺の菩薩像と似ている
   けれども、百済寺のは金銅製で、掌にのせてみたいほどの小さなものである。
   百済寺は名のごとく、クダラであり、このあたりには、百済からの帰化人の村が
   あったという。帰化人たちが、故郷の菩提寺を偲んで建立したと思われる。とす
   ると、ずいぶん古い寺であろう。この寺だけが一切を焼いて、あとの二山に堂宇
   の少々が残ったのである。

  ・ 「湖東に三山ありて、近江路の古き面影をとどめて閑雅なり」と私の所持する
   パンフレットにはある。なるほど、三山に詣でてみて、閑雅という言葉に私は興
   味をおぼえた。古き仏像のむれと、堂宇と塔と壺を残して、三山はたしかに眠っ
   たように山に抱かれていた。


岡部伊都子『湖東三山───百済寺・金剛輪寺・西明寺
     - 岡部伊都子ほか『古寺巡礼近江 6』(淡交社1980年) p.98~


  ・ 百済寺は三山のいちばん南側に建っていた。久多良寺(くだらじ)ともいうそう
   だが、大和や摂津で百済をくだらと読む習性とはちがって、土地では古くから
   ひゃくさいと呼んできたらしい。「くだらというよりは、ひゃくさいとよぶ方が、
   百済(べくちぇ)という原語の発音に近い」と指摘された学者がある。

  ・ 本坊の仏間には金堂弥勒半跏像が祀られ、ガラスケースに安置されている信楽の
   壺が、渋い紅色に匂う「うずくまる」。やわらかすぎる程やわらかな感じの鎌倉
   の壺に水晶やガラスなどがいれられていた。もとは五重塔との記録のある三重塔
   塔址の礎石に、仏舎利はなく、この檜垣文のみえる壺が発見された。


白洲正子『湖東三山』 - 『白洲正子全集 第13巻』(新潮社 2002) p.427~
     ≪エッセイ 一九九〇―一九九五≫

  ・ 湖東三山の中で、私が最初に訪れたのは百済寺であった。
  ・ その頃──というのは今から三十年以上も前のことだが、私は信楽の焼きものに
   ついて書いており、百済寺の鎌倉時代の塔跡から古信楽の壺が発見されたと聞い
   たからである。土中していたため風化されて白っぽくなっていたが、美しい壺で、
   いっしょに行った陶芸家の八木一夫氏は、「下手くそだなあ」といって、感嘆し
   ていた。下手くそでもこんなに美しい壺は現代人にはできないと思ったのであ
   ろう。その八木さんも今はない。


白洲正子『近江山河抄』(講談社文芸文庫 1994)(初出:1974年 駸々堂)
       ≪鈴鹿の流れ星≫ p.152~


  ・ 百済寺は、百済の僧のために、聖徳太子が建立したと伝えるが、蒲生野に住ん
   だ帰化人の援助によるのであろう。十五、六年前、私がはじめて行った時は、
   杉並木の参道を歩いたが、今は自動車道が出来て、境内も整備されている。が、
   私はあの頃のひなびた風景が懐かしい。ちょうど日が落ちる時刻で、夕べの靄
   がただよう蒲生野を、本堂の庭から見渡したことを思い出す。





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