独りよがりのつぶやき

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松峯山金剛輪寺

H28.11.21(月) その5  1 2 3 4 5 6 7


西明寺をあとにして金剛輪寺に着いたのは、10時半を過ぎたころだろうか。
紅葉の合間に本堂の姿があらわれた。 荘重な構えが、何とも美しかった。

金剛輪寺本堂付近の紅葉は、血のように真っ赤に色づくので「血染めの紅
葉」と呼ばれている。これは、「生身(なまみ)の本尊」の伝説-行基が観
音像を彫り進んでいたら、やがて木肌から赤い血が流れ出てきたという-
に因むらしい。はたして、いつの頃からそう呼ばれるようになったのだろ
うか。

鮮やかな色の紅葉に感嘆しながら歩いていたら、私も、気が付かないうち
にその彩りに染め上げられていた、そんな思いに囚われた。


 金剛輪寺本堂(附 厨子)(国宝)

1611211042 金剛輪寺  


1611211105 金剛輪寺


1611211049 金剛輪寺


1611211110 金剛輪寺


1611211113 金剛輪寺


1611211122 金剛輪寺


 金剛輪寺明壽院庭園(名勝)

1611211136 金剛輪寺


1611211143 金剛輪寺


1611211144 金剛輪寺DSCN3527


1611211149 金剛輪寺


本堂のご本尊「木造聖観音立像」(滋賀県指定文化財)は、秘仏。「住職
一代一会のご開帳」
とされているが、 2000年、2006年、2014年と開扉
されている。

20年、30年後では無理だが、このペースで特別公開の機会が生まれれば、
白洲正子、岡部伊都子も拝観が叶わなかったご本尊を拝観することができ
るのでは、という妙な期待感を持った。

昼食は、境内に建つ「華楽坊(からくぼう)。一か月前に予約をしていた
のがよかった。空席になるのを待つことなく、スムースに席に案内された。
お腹を満たし、「湖東三山まん中のお寺」を後にして、「百済(彩)寺」
へと向かった。


.
天台宗 金剛輪寺  ・ 金剛輪寺  ・ 秦川村  ・ 秦荘町  ・ 愛荘町  - Wikipedia

   愛荘町の文化財 - 愛荘町HP
   金剛輪寺本堂・愛知郡愛荘町 [滋賀文化のススメ]
   金剛輪寺明寿院庭園・愛知郡愛荘町 [滋賀文化のススメ]
   金剛輪寺明壽院庭園 文化遺産オンライン
   愛荘町立歴史文化博物館 [滋賀文化のススメ]
   金剛輪寺本堂(国宝)  ・ 二天門(重文)  ・ 三重塔(重文) 近江建物探訪
     ・ 近江金剛輪寺三重塔 - 「がらくた」置場 by S_Minaga
     ・ 金剛輪寺(愛荘) 湖東三山 美しさ広める - 読売新聞 2013/11/18
     ・ 近江の古刹・金剛輪寺 - MBS毎日放送「美の京都遺産」- 2014.04.27 Mediacrit
     ・ 文化財にかける技とねがい - 愛荘町立歴史文化博物館開館20年記念 -平成26年
   金剛輪寺本堂は弘安役の記念堂 - 『近江愛智郡志』巻1 -国会図書館DC  p,408
   「當寺は當郡の古名族依智秦公一族の帰依崇敬したる古刹たるが如し」
    「本堂安置の佛像にして胎内銘あるもの建歴元年・・・等以下鎌倉時代の作佛多し」
     - 『近江愛智郡志』巻5 -国会図書館DC p.463 p.464       
   「金剛輪寺 松尾村にあり。土俗松尾寺といふもの是なり。」
    「開基後無炎燒、元和四年乙午己來今年迄百拾五年無開帳、本堂本尊聖觀音、
    行基菩薩一刀三禮御作。」
  
     - 『近江国輿地志略』 下 -国会図書館DC  p.172



  (※ 本堂内は撮影禁止。以下の画像は、本やネット上のを使わせてもらいました。)

金剛輪寺本堂内陣・お前立ち・御影

 金剛輪寺本堂内陣金剛輪寺ご本尊お前立ち御開帳記念御影
  (左)内陣 - 岡部伊都子ほか『古寺巡礼近江 6』(淡交社1980年) p.32
  (中)お前立ち - 滋賀彦根新聞 2014/4/6 ・・・湖東三山の本尊 同時開帳へ
  (右)御影 - 行基作 「生身の本尊」を祀る滋賀の名刹 金剛輪寺 -寺社巡り.com
    (※ 史上初 湖東三山の秘仏ご開帳-月間京都史跡散策会 第11号(2006)


近江のかみ・ほとけたち≪湖東エリア≫ - 神仏います近江 -滋賀県観光情報
     ・ 秦荘町有形文化財(美術工芸品) - 「滋賀県市町村別文化財一覧」

   木造阿弥陀如来坐像(重文)(左)木造阿弥陀如来坐像(重文)(右)

 金剛輪寺:阿弥陀如来坐像(左)金剛輪寺:阿弥陀如来坐像(右)


   木造不動明王立像(重文)(左)・木造毘沙門天立像(重文)(右)

 金剛輪寺:不動明王立像金剛輪寺:毘沙門天立像


   木造十一面観音立像(重文)

 金剛輪寺:十一面観音立像金剛輪寺:十一面観音立像(2)


   木造四天王立像(重文) - 持国天(左)・増長天(右)

 四天王立像:持国天四天王立像:増長天
     ・ 金剛輪寺木造増長天立像修繕図解 - 公文書のなかの仏像 - 滋賀県


木造聖観音立像(県指定文化財) - 愛荘町文化財≪彫刻≫

木造十二神将立像(県指定文化財) - 愛荘町文化財≪彫刻≫

木造聖観音立像(町指定文化財) - 愛荘町文化財≪彫刻≫

 木造聖観音立像(愛荘町指定文化財)木造聖観音立像(愛荘町指定文化財) (2)


金銅聖観音坐像 - 文永6年(1269)西智作 ボストン美術館蔵

 聖観音坐像(ボストン美術館)聖観音坐像(ボストン美術館) (2)

 聖観音坐像(ボストン美術館)台座台座銘

   - Shô Kannon, the Bodhisattva of Compassion Museum of Fine Arts, Boston
   - 矢代幸雄『ボストン美術館所蔵の銘記ある日本彫刻』(美術研究 1936)



水上勉『湖東三山訪記 近江
     - 『古寺巡遊』 水上勉紀行文集 第三巻 (昭和58年 平凡社) p.266~


  ・ 山門につきあたって、大杉の下の急傾斜の古石段をのぼると、檜皮葺きのうつ
   くしい本堂が、鳳の羽のように、ひさしをひろげて待っていた。私はしばらく、
   この屋根に見惚れた。鶯いろに濃茶をまぜたような、何ともいえぬ古びた檜皮
   の色の上に、線模様を描いて点々と散るのは何だろう。松の落葉であった。
   ちょうど西陽が比良の山へ落ちようとする時刻なので、大杉とあたりの常緑樹
   の葉からもれてくる陽ざしが、雄大な入母屋の屋根を絵のようにくっきりと浮
   きあがらせていた。絵をみたように思った。

  ・ 本尊聖観世音菩薩は、閉ざされた扉の中に眠っている。荒削りの秘仏だという
   ことである。この厨子をとりまいて、十数体の仏像が安置されてある。どれも
   みな、等身のおおきなものである。彩絵の光背を背負った阿弥陀如来像が左右
   両端にある。いずれも鎌倉期のものといわれるが、やわらかな姿態と、理知的
   な眼が印象的だ。厨子に接近して、毘沙門天と不動明王像の二体がある。観音
   様の脇侍なのであろう。私は美術眼もないし、仏像にさして興味もない男だが、
   この名品ぞろいといってよい等身像のむれの前に立った時には、思わず軀がこ
   わばった。何ともいえぬ、威圧をその姿からうけたからだ。不動の像など、こ
   まかいノミの目がたっている。激しい強靭なものが感じられる。

  ・ 私は昔、京都の禅寺で小僧をしていた。いろいろと寺を廻ったが、臨済派のど
   の寺をめぐっても、これほどの阿弥陀像や不動、毘沙門の像をそろえた所を知
   らないと思った。


浜中光永・浜中光礼『金剛輪寺の歴史と信仰』
     - 岡部伊都子ほか『古寺巡礼近江 6』(淡交社1980年)
p.98~

  ・ 本尊聖観世音菩薩の御像は・・・雄厳壮大な御厨子(国宝)に安置されている。
   久野健氏の昭和34年の調査報告書によると、次のように述べられている。
     この御像は、お顔の工作が進んでいるにかかわらず、体躯や腕などの肉づ
     きがたっぷりと残っていて、完成半途の観がある。即ち、御像は所謂鉈彫
     の完成像ではなく、未完成の像というべきで、このことと、金剛輪寺の大
     規模な構え、他の諸仏像の優秀さと、双方考え合わせると、このように未
     完成像が本尊になっているのは、いずれ由緒ある高僧の手に成って、この
     程度、この状態で、すでに霊威が具ったのではないかと思われる。

  ・ また寺伝では、
     この御像は「生身(なまみ)のご本尊と讃えられ、行基が彫刀を進められ
     ると、やがて木肌から赤い血が流れ出て生身のようであった。行基は刀を
     擲(な)げ、下半身を白布にて覆われた。
   と記され、久野氏の述べられるところと、符合する点がある。ただしその制作
   年代は様式上藤原時代後半のものとされている。


岡部伊都子『湖東三山』
    - 井上靖監修『私の古寺巡礼 4』(光文社 知恵の森文庫 2005) p.98~


  ・ 金剛輪寺の厨子には、本尊聖観音が秘され、その須弥壇の金具に、弘安11年
   (1288)元寇の戦勝祈願が叶ったあと、近江の守護職佐々木頼綱寄進の銘があ
   るという。本堂もその頃の建築と推定され、国宝に指定されている。

  ・ 金剛輪寺の建つ土地名は、秦荘町松尾寺。秦川山の中腹である。その地名から
   すぐ秦氏が連想され、さらに山城太秦の秦氏と松尾神社との間柄が強く思われ
   る。行基も渡来し氏族の出自・・・。金剛輪寺は、天平9年(737)に聖武天皇
   が行基に開創させたとの縁起を伝承している。

  ・ その行基が、ナタ彫りの仏像を造っていたところ、木の肌から一筋の血が流れ
   だした。行基はナタを折って未完成仏としたなどと、本堂を守る人がとつとつ
   と語られる。行基思慕譚の今だにうけつがれているのが微笑ましい。

  ・ 秘仏観音の面影はうかがうすべもないけれど、お厨子の左右には堂々たる優作
   不動明王・毘沙門天像や四天王像、二体の阿弥陀坐像など、八体もの重要文化
   財がならんでいる。
    裏にたたれる木造十一面観音像(藤原時代)は、どこかはにかんだような面
   伏せのやわらかな表現だ。力強い慈恵大師良源の坐像(鎌倉時代)もある。


白洲正子『湖東三山』 - 『白洲正子全集 第13巻』(新潮社 2002) p.427~
     ≪エッセイ 一九九〇―一九九五≫

  ・ 本堂の前には、もみじの大木が、たった一本だけ眼がさめるように紅葉してい
   た。このもみじは幹も美しく、折からの夕日をあびて真っ白にかがやき、葉末
   の先まで丹念に染めあげたかのように、深紅の色に照り映えている。そのまわ
   りには妖しくなまめかしい雰囲気がただよい、観光客の姿も消えて、私はひと
   り造化の不思議さに酔う心地がした。今年はもみじがダメだなんて、・・・
   そんな噂に惑わされたことが羞ずかしい。

  ・ この度金剛輪寺を訪れた目的の一つに、本堂の厨子の中に安置されている秘仏
   の聖観音を拝観することがあった。
    ・・・
   というわけで私の興味は増すばかりであったが、いくらお願いしてもこればか
   りは拝観させて頂けなかった。が、たまには絶対の秘仏というものもあってい
   いと思うので、心ない人々に「出来損ないじゃないか」といわれるより、かく
   しておいたほうがいい時もある。稀にはお厨子の中が空っぽの場合もなきにし
   もあらずだが、信仰というのはそんなものではない。たとえ未完成でも空っぽ
   でも、そこに仏が在(おわ)すと信ずるなら、仏は必ず現れるのだ。私はその
   ように思っている。




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