独りよがりのつぶやき

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龍應山西明寺

H28.11.21(月) その4  1 2 3 4 5 6 7

多賀大社を後にして西明寺へ向かった。思ったより近く10分余で着いた。
駐車場には、大型の観光バスや乗用車が、もうすでにたくさん入っている。
事前に計画した通り、上の駐車場に向かうよう、運転手さんにお願いした。

参拝を終えたのだろうか、列をなして下りてこられる方々に、車内で身を
小さくしながら頭を下げ続け、中門前の駐車場に着いた。

参道沿いの見事な紅葉の前には、たくさんの人だかり。大変な混雑で、身
動きもできないような凄まじい光景に、ただただ驚いた。

 庭園(表庭)出入口 

1611210947 庭園出入口


 蓬莱庭入口(左の門)  ここから本坊庭園「蓬莱庭」に入る。

1611210948 蓬莱庭出入り口


 西明寺のフダンザクラ《不断桜》(滋賀県指定天然記念物)  

1611210950 不断桜


 黄葉

1611210951 黄葉


 紅(黄)葉

1611210952 紅(黄)葉


 庭園出入口

1611210954 庭園出入口


 西明寺本坊庭園(名勝)(蓬莱庭)  江戸時代初期の作庭

1611210959 蓬萊庭(国指定名勝)


 黄葉

1611211001 黄葉


 西明寺本堂(国宝)  鎌倉時代前期の建築

1611211006 本堂(国宝)  


 西明寺三重塔(国宝)  鎌倉時代後期の建築

1611211009 三重塔(国宝)


西明寺の山号は、西明寺のある場所が琵琶湖の東の方角に位置することか
ら、四神の青龍に因み、「龍應山」と名付けられたとか。また、水への信
仰からともいわれている。

本堂のご本尊、木造薬師如来立像(重文)は、延暦寺の方に向いて安置さ
れ、根本中堂ご本尊の薬師如来に対し、「湖東の薬師如来」と呼ばれてい
るとのこと。

西明寺は、湖東三山のうちでは最も新しい創建で、一番北に位置し、平安
から室町時代にかけ、祈願道場として、また修行道場として栄え、17堂宇、
300坊を擁する大伽藍であったと伝えられている。

元亀2年(1571)、比叡山を焼き討ちした織田信長は、同時に比叡山の勢
力下にあって反抗を続ける近隣の天台寺院へも焼き討ちを進めた。ここ西
明寺も焼き討ちを受けるが、これに対し、多くの僧侶と農民が協力して寺
を守ったとか。

山門近くの坊舎を激しく燃やし、全山が焼失しているかのように見せかけ
たことから、命を受けた丹羽長秀(長男は白河藩主丹羽長重)と河尻秀隆
らは、これを見て撤退したそうだ。

これにより、本尊、本堂、三重塔、二天門(重文)など多くの寺宝が焼失
の危機を脱し、今に残されたと伝えられている。

旅行前の下調べで、春と秋の年2回のみ公開される「三重塔初層壁画」が、
今月末まで公開(雨天中止)されていることを知った。計画時点から楽し
みにしていた、期待の拝観の一つ。雨は降っていなかった。幸運だった!


.
三重塔の端正で凛とした美しさもさることながら、初層内部の圧倒的な荘
厳さに、心身が震えるほどの感動を覚えた。戦慄というべきかも知れない。

内部は勿論撮影禁止だったので、写真は、甲良町HPと日経コム掲載の記
事からお借りした。

 西明寺三重塔初層壁画・木造大日如来坐像 -甲良町HP

  西明寺三重塔初層壁画 -甲良町HP 西明寺木造大日如来坐像 -甲良町HP - コピー

 三重塔初層 - 西明寺提供:日経コム掲載(2014/11/7)


ふたたび、この目と心で拝観したいと願いながら、塔を出た。



西明寺  ・ 西明寺 (滋賀県甲良町) - Wikipedia

   湖東三山 西明寺・金剛輪寺・百済寺
     - 滋賀県教育委員会「埋蔵文化座活用ブックレット1(近江の山寺 1)」 平成22年

   近江水の宝 西明寺 犬上郡甲良町池寺 - 滋賀県教育委員会 2009
   → 嬉しいことに、ご本尊木造薬師如来立像(重文)の画像が掲載されている。
   文化遺産データベース 西明寺本堂  ・ 西明寺三重塔  ・ 西明寺二天門
   甲良町の文化財>文化財一覧 - 甲良町ホームページ
   西明寺(犬上郡池寺村) - 近江国輿地志略 下 - 国会図書館DC
   ・ 池寺村に有。往昔は大伽藍なりとぞ。今二坊あり。此西明寺を世に池の寺と
    いふ。亦山號を龍應山と云。

   ・ されば當山より西濱に光明を輝し玉ふ故、西明寺と勅號是あり、
   ・ 都て別所諸堂十七ケ所の神社十二神惣坊合三百舎。寺領二千石幷下行餞一千
    八百貫文附授寺納す。然る處天正年中信長公山門滅亡の砌、佐々木氏と共に
    當寺を焼、仁王門より下、堂社院中悉く炎上す。

   一千年の遺構と称し、就中三重塔の内部は壁畫を存す。實に稀世の觀なり。
     - 西明寺 - 国会図書館DC - 大日本地名辞書 上巻 二版
   西明寺・甲良町 [滋賀文化のススメ]
   三重塔初重内部3  ・ 三重塔初重天井・四天柱  ・ 三重塔初重天井
     現存三重塔(飛鳥~鎌倉期)<日本の塔婆<「がらくた」置場 by S_Minaga
   織田勢も畏れた?極彩色 西明寺の本堂・三重塔(時の回廊) 滋賀県甲良町
     - 日本経済新聞 2014/11/7


比叡山焼き討ち (1571年) - Wikipedia

   元亀2年(1571)9月12日 叡山御退治之事
     - 『信長公記』巻之四 -史籍集覧.19 -国会図書館DC

    九月十二日 叡山を取詰根本中堂山王廿一社を初奉り靈佛靈社僧坊經巻不殘
    一宇一時に如雲霞燒拂爲灰燼地社哀なれ

   元亀2年9月12日 - 『言継卿記』 第四 -国会図書館DC
   元亀2年9月12日 - 『多聞院日記』 第2巻 -国会図書館DC
   1571年10月4日(元亀2年9月16日)附ルイス・フロイス書翰
     - 『異国叢書』 第3 -国会図書館DC

   後天正元年、織田氏ノ兵焚ニ罹リ・・・ - 滋賀県『近江史蹟』(1910年)
   其事は殘忍なりと雖、永く叡僧の兇惡を除けり。是又天下に功あることの一つ
   なるべし。
 - 新井白石『読史餘論』 巻十二 -国会図書館DC
   <最終話・延暦寺>焼き打ち 教訓生き続け - 読売新聞 2014年08月18日
   史料研究の探化で、戦国史が変わる、信長が変わる
     - 小和田哲男(静岡大学名誉教授)/歴史街道 2015年4月号
   420年の恩讐を越えた…織田信長と比叡山延暦寺が和解した背景
     - ライブドアニュース 2016年9月16日


白洲正子『近江山河抄』(講談社文芸文庫 1994)(初出:1974年 駸々堂)
       ≪鈴鹿の流れ星≫ p.152~


  ・ この寺は、平安初期に、伊吹山を開いた三修上人が、池の中に光明が輝くのを
   見て、「池寺」と名づけたのにはじまるという。仏像や石造美術にも、立派な
   ものが残っているが、中でも美しいのは、三重塔の中にある鎌倉時代の壁画で、
   天井から柱の隅々まで、極彩色の菩薩像で埋まっている。

  ・ おそらく三重塔の壁画は、池寺の池に出現した光明を映したもので、山と水と、
   天と地と、互いに呼応することにより、この世の浄土を表現しようとしたに違
   いない。
  ・ 塔内に描かれているのは菩薩像で、密教美術には、色をもって色を制するとい
   うか、あざやかな五彩からほとばしる光が、無数の円を描くうち一つになって、
   中央に鎮座する大日如来に吸収されて行く。
  ・ 忍者や木地師の底辺から、大日如来の浄土に及ぶまで、鈴鹿の山中には何と多
   くのものがかくされていることか、現代は複雑だと人はいうが、密教の世界の
   複雑さに比べたら、物の数ではない。そして、そういうものを生むに至った歴
   史について考えるとき、私は目くるめく思いがする。


白洲正子『湖東三山』 - 白洲正子全集 第13巻(新潮社 2002.7) p.427~

  ・ 湖東三山の中でも西明寺は、名神国道によって景観がそがれたこともあって、
   一番小ぢんまりとして、優雅な趣がある。中でも美しいのは鎌倉時代の三重塔
   で、内部には絢爛豪華な極彩色の浄土の風景が描かれている。中央には大日如
   来が鎮座して、多くの菩薩が内陣の四柱を取り巻き、竜神や霊鳥がその間を飛
   びかい、それらをめぐって法相華や唐草文がくまなく堂内を埋めつくしている。
   私が行った時はもう日が暮れていたため、住職が懐中電灯で隅々まで照らして
   下さったので、常よりもゆっくり拝観できるのがありがたかった。

  ・ 君ケ畑の北にそびえる「御池岳」で、西明寺の真東に当たる1,242メートルの
   高峰・・・これが池寺と呼ばれた西明寺の正真正銘の奥の院ではなかったか・・・
   私は登ってみたわけではないので、真偽のほどはわからないが、池寺の水源が
   御池岳にあるのは地形からみても確かなことで、西明寺の原点はそこにあると
   しか考えられないのである。


岡部伊都子『湖東三山』
    - 井上靖監修『私の古寺巡礼 4』(光文社 知恵の森文庫 2005) p.98~


  ・ 三山がともに同じ道に面して山へはいっている形なのは面白い。いちばん先に
   建てられたものと思われる百済寺の結構が、他の寺の参考となったのではない
   か。

  ・ 三間四方の三重塔の初層には、中央の大日如来を囲んで柱や壁・天井に美々し
   く濃い青・紅・黄・黒・緑・金・茶、色彩の絵図がはっきりと保存されていた。
   巨勢金岡と説明されたけれど、一人の画家の手ではなく、巨勢派の人びとの合
   作か。法華経一巻~八巻のうちから抽出して描いてあるという。四本の柱に菩
   薩、細かな格天井の色が美しく梁には宝相華、水紋や極楽鳥、人間の頭をもつ
   迦陵頻伽など、当時の人びとにはこの情景が法華経世界そのものと思われたの
   であろうか・・・。
    さすれば、法華経境界を描きこんだ塔のめでたさは、今の無信心者からは想
   像もできないほど尊いものであったろう。。

  ・ 西明寺の寺名は、池の西方に光があらわれたためということだけれど、一つに
   は、唐の長安に在る西明寺にちなんだのではないかと思う。池寺の池の水利は、
   現世利益の大いなる権益であった。僧房三百というような大寺が、僅かな距離
   をへだてて三か寺も、同じ道筋に集中しているとしたら、湖東支配をめざすも
   のにとっては、気にせずにいられぬ勢力だったにちがいない。





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