独りよがりのつぶやき

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弘徳山龍潭寺

H28.11.21(月) その2  1 2 3 4 5 6 7

 朝の彦根城  昨夜来の雨がやんでいた。

彦根城


フロントに下りたら、一ヶ月前に予約したタクシーが、すでに待機していた。
おだやかな感じの、一寸年配の運転手さんと挨拶を交わし、タクシーに乗車。
湖東三山(百済寺・西明寺・金剛輪寺)と永源寺を巡る一日がスタートした。

運転手さんが、「時間があるので龍潭寺(りょうたんじ)を回られては如何で
しょうか?」と勧めてくれた。5月に浜松を訪ねたときには龍潭寺を訪ねる
ことが出来なかったので、即「お願いします!」と独断で答えた。

彦根の龍潭寺は、関ヶ原の戦いの戦功により佐和山藩主となった井伊直政の
遺言により、遠州井伊谷にある龍潭寺(井伊家菩提寺)の五世昊天(こうてん)
禅師を開山とし、この佐和山の西麓に分寺されたもの。慶長7年(1602)か
ら建設が始まり、諸堂が完成したのは元和3年(1617)とか。

入口を入ったら、参道を悠々と闊歩しているお猿さんに出会った。なんと、
屋根の上にも数匹。皆で驚いたり、喜んだりして、思わぬ遭遇を楽しんだ。

このお寺さんは、佐和山を借景にして造られた庭園や森川許六筆と伝わる方
丈の襖絵が有名らしい。拝観が始まる時間までには30分近くもあったので、
それらは割愛し、佐和山ハイキングコース入口までの往復にとどめた。


 総門  龍潭寺は「佐和山」の麓にあるが、山号は何故か「弘徳山」。

総門


 参道  敷き紅葉。 龍潭寺垣と呼ばれる竹垣が続く。

参道


 紅葉  見ごろは過ぎていたが 綺麗だった。  

紅葉


 山門  龍潭寺は 佐和山の麓にひっそりと佇んでいる。

山門


 大洞観音堂  観音堂右脇を入ると 佐和山ハイキングコースとなる。 

大洞観音堂


 中門脇の壁  戦に備えてだろうか 瓦が埋め込まれている。

中門脇の壁


 紅葉  朝の冷気に しっとりと色づいていた。

木立ち


 大久保忠隣 幽居之跡  右端の石柱は 「大久保忠隣幽居之跡」の碑

大久保忠隣幽居之跡


 石田三成公像  台座裏に 「彦根石田三成公顕彰会建之」とあった。

石田三成公像


  散り残る紅葉はことにいとおしき秋の名残はこればかりぞと 三成 

ここには、石田三成、井伊直政、大久保忠隣が同居している。何とも不思議
な空間だが、静寂で落ち着いた佇まいに、こころが洗われるお寺さんだった。

  冶部どのも今日瞑すらむ蝉しぐ禮 吉川英治


.
龍潭寺 (彦根市) - Wikipedia

  龍潭寺庭園[滋賀文化のススメ] ・ 龍潭寺 -滋賀県観光情報[公式観光サイト]

彦根藩主井伊家墓所 -文化遺産オンライン  ・ 国の史跡に指定 - 彦根市

  史跡 彦根藩主井伊家墓所(清凉寺墓所) - 文化財解説シート 彦根市
  遠州の古刹 龍潭寺  ・ 南渓瑞聞  ・ 傑山宗俊  ・ 昊天宗建  - Wikipedia
  ・ 龍潭寺歴代住職(南渓・傑山・昊天) - 遠州の古刹 龍潭寺
  ・ 「次郎法師の修行の場・龍潭寺」|NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』
  ・ 於井伊谷南渓和尚弟子衆両人被遣候。出家といへとも武藝達者に御座候。
   壱人ハ傑山と申候亭、強弓なり。壱人者彦根龍潭寺開山昊天なり。長刀上
   手にて今以一宗にて長刀昊天と申候。於長久手、池田勝入、森武蔵守、両
   備を追崩、敵数多打取、直政公御自身高名勝利を得也。 -「井伊家伝記」
  国指定史跡 彦根藩主井伊家墓所 豪徳寺井伊家墓所 -世田谷区
  井伊直興公の2つの墓 - DADA Journal まち・文化 2010年10月3日

井伊直虎 - Wikipedia

  第1回 井伊氏の黎明から受難の時代へ -初代〜二十四代直政以前-
     - 列伝 〜井伊家十四代〜 - 国宝・彦根城築城400年祭
  井伊直虎(次郎法師)|井伊家の歴史|遠州の古刹 龍潭寺
  ・ 浜松市 史資料 井伊直虎とその時代
  「おんな城主」直虎は男性?-井伊美術館 会見後の朝日新聞記事

井伊直政 - Wikipedia   ・ 直政 -寛政重脩諸家譜 第4輯 -国会図書館DC

  家康の幕下で、直政ほど家康から愛され、信頼されていた人物もすくない。
  かれは、家康の発祥の地である三河の出身ではなかった・・・。家康の勢力が
  遠州にのびたときに少年ながら見出され、井伊谷の旧領をあたえられて近侍す
  るようになった。直政にとって家康は単に主人という以上に恩人であり、かれ
  は生涯、渾身の誠実さで家康につかえた。さらにはそのことが、井伊家の家訓
  にもなった。長じて直政は、家康の内々の相談相手になった。直政は思慮ぶか
  く、四方に心をくばって、しかも口重の人だった。家康もときに思いちがいを
  した。そういう場合、「直政が余人のいないときに意見をしてくれる」などと、
  人を月旦することのない家康が、めずらしく直政の人物評を秀忠夫人への手紙
  のなかでふれたりしている。
 
     司馬遼太郎『街道をゆく 24』(朝日新聞社 昭和59年 p.60~
  7年2月祥壽公卒ス -井伊年譜  ・ 直政公伯母ヘ御遺言之事 -井伊家伝記
  長松院 (彦根市) - Wikipedia  ・ このお寺は - 井伊直政公の寺 長松院
  名将言行録 巻之56 井伊直政 -国立国会図書館DC
  第2回 孤高の赤鬼~井伊直政 其の壱~ ・ 第3回 其の弐 ・ 第4回 其の参
  井伊美術館 「井伊家伝記」の性格と祖山和尚の目的
  群馬県 - 井伊家ゆかりの群馬の城ストーリー ~春の城巡りへのいざない~
  ・ 井伊家と安中 -安中にもあった龍潭寺- 学習の森からのお知らせ|安中市
  井伊家と掛川 掛川城十九首 - 静岡県掛川市 寸感ホットページ 第603回

井伊直勝 - Wikipedia

  慶長七壬寅三月御家督御年十三
  仝十九寅大久保相模守忠鄰罪アリ御預ケ
  仝年十月大坂乱起ル此時直勝公御多病ナルカ故江戸御留守被仰付彦根人數ハ
  直孝公引率御参陣有ヘシト檄書到着
   一ニ直勝公三万石人數被召連上州横川関所御預ケトモ
  和元乙●年二月直勝公御病氣依テ直政公ノ御家督直孝公御相續有ヘシ十八万
  石ノ内三万石上州安中ニテ直勝公ヘ被下●被仰付
  仝年八月御隠居可睡斉ト御改         【井伊家伝記】
  木俣土佐守守勝武功紀年事記 彦根市
  第5回 新時代の礎~井伊直継~
      - 列伝 〜井伊家十四代〜 - 国宝・彦根城築城400年祭
  ・ 《井伊氏と高崎安中 (7)》 大泉寺 直勝後見の母 眠る -上毛新聞 2017年2月25日
  ・ 増田由季『弱鬼』 -彦根市市民文芸作品第42回(平成18年度) 特選

井伊直孝 - Wikipedia

  大阪の亂幾程なく江戸石壁のいとなみ日光の土木天下の諸大名以の外に困窮
  せり、又世を譲らせ給ひなば諸大名献上奉る者に費多く、將軍宣下の饗禮を取
  行ふべし、愈困窮に及び下を剝民を苦むるの外更にせん方なからん、是民のな
  げき亂のもとゝ存ずるなりと申されし
   又一説に、嗣君幼稺におはしませども治平の時なれば、一郭滅せられ候
   てこそ人々安堵いたすべけれ、嗣君幼稺により郭を增れなば、人々危ぶ
   む心を生ぜん事必然なり、
    -「常山紀談-井伊直孝直諫の事」 
  井伊直孝 - 名将言行録 7 - 国会図書館DC
  第6回 鬼を継ぐ夜叉~井伊直孝 其の壱~  ・ 第7回 ~井伊直孝 其の弐~
     - 列伝 〜井伊家十四代〜 - 国宝・彦根城築城400年祭

石田三成 - Wikipedia  ・ 佐和山城 - Wikipedia

  家康、三成を呼出し、如何に武將も斯ること昔よりある樣しなり、恥にあら
  ずと言はれしかば、三成臆したる體もなく、氣色如何にも打解けて、只天運の
  然らしむる所にて候、疾々首を刎られ候へと申す、家康、三成は流石に大將の
  器量ありけるよ、平宗盛には、大に異なれりと言はれけり。

      - 石田三成 - 名将言行録 7 - 国会図書館DC
  石田治部少輔三成は、にくからざるものなり、人おのおの其主の爲にすと云
  義にて、心をたて事を行ふ者、敵なりとも、にくむべからず、君臣ともに心得
  べき事なり、

      - 桃源遺事 一名西山遺事 - 国会図書館DC
  文弱のやうに云はれてゐるが、佐和山の居城などは、質素剛健で、壁は荒
  壁のまゝであったと云ふし、關ヶ原では、島左近初、旗下の士が決死奮闘して
  ゐるところを見ると、武將としても堂々たるものである。戰国時代の人物とし
  ては、その失敗にも拘はらず、五指の中に數へてもいゝ人である。

      - 菊池寛編著『評註名将言行録 下』
  拝啓 石田三成様<滋賀県から石田三成公へのメッセージ>
  【公式】石田三成×滋賀県 ポータルサイト<石田三成CM 公開!>
  佐和山城跡 -その歴史と山に遺されたもの- -滋賀県教育委員会 昭和22年
  ・ 佐和山城址MAP -彦根観光協会
  石田三成群霊供養(佐和山観音)・彦根市古沢町 滋賀文化のススメ
  早すぎた現代人・石田三成が最も苦しめられたのは◯痛だった?
      - dot.ドット 朝日新聞出版 2016/5/25

大久保忠隣 - Wikipedia

  忠隣曰ク、子ノ厚誼ヲ辱クス、然レド、今ニシテ臣カ罪ナキヲ言フ、故將軍
  之過ヲ天下に顯ハス也、故將軍百世ノ祖ニシテ、此過失アル、之を明カニスル
  ハ、吾素志ニ非スト、止メテ言フ¬莫ラシム、直孝涙ヲ攪シテ出ツ、東照公薨
  後、剃髪易形、亦以テ復出ルノ意ナキヲ示ス也、

      - 徳川十五代史 慶長19年 -国会図書館DC
  大久保忠隣 - 名将言行録 7 - 国会図書館DC




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