独りよがりのつぶやき

花の写真を中心とした 気ままなブログです

歷應資聖禪寺

H28.8.17(火) その10  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

二条城から天龍寺へ向かった。

天龍寺の寺号は、霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)。
HPには、「足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天
龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建
された」とある。

後醍醐天皇の崩御は、歴応2年(1339)8月16日。天龍寺造営記録には、
「足利尊氏・直義両将軍の哀しみと恐怖は、とりわけ深かった。報恩謝徳
のため、かつ、怨霊納受のため、あらたに寺院を建立し」とあり、寺の名
は10月13日に、年号に因み、「霊亀山歴応資聖禅寺」と名付けられた。

2年後の歴応4年(1341)7月13日に地曳(地鎮祭)が行われたが、22日
には寺名が「霊亀山天龍資聖禪寺」と改められ、「歴応寺」の名は1年9ヵ
月で消えた。 短命だった。

天龍寺の落慶供養は、後醍醐天皇七回忌にあたる康永4年(1345)の8月
29日に行われ、翌30日光厳上皇が臨幸された。太平記は「上古にも末代
にも有難かりし供養也」と記している。


 庫裏の前のミニ庭園 大きな石組み・・・滝なのか、それとも龍か?

庫裡の前の石


 玄関正面の大衝立達磨図 平田精耕老師(第9代管長)(241世) 筆

   達磨図 -前管長平田精耕老師筆


 「方丈」の扁額 関牧翁老師(第8代管長)(241世) 筆

「方丈」の扁額


「方丈」の説明


 方丈前庭(東庭) 中門の先には法堂

本坊東庭(1)


本坊東庭(2)


本坊東庭(3)


 曹源池庭園  方丈の西に広がる

曹源池庭園(1)


曹源池庭園(2)


曹源池庭園(3)


 小方丈(書院)の掛け軸 大衝立のと同じく平田精耕老師の筆とか

小方丈(書院)の掛け軸


 大方丈の『雲龍図』(襖絵) 曾我蕭白キャノン寄贈:高精細複製品

雲龍図(襖絵)(1)


雲龍図(襖絵)(2)


雲龍図(襖絵)(3)


水上勉は、『古寺巡礼 京都 天龍寺』(淡交社 1976)の中で、次のよ
うに記している(「天龍寺幻想」)(p.69)。

  天龍寺の名には格別の語感があると思う。等持院できいた先輩の
 話だと、龍は禅の護神だということである。護神が天に向かって登
 る、この姿には、あの法堂の天井の龍の絵もかさなってつきものの
 巻雲が荒々しく想像されてくる。南禅・東福といえば、ぼくにはや
 わらかいが、天龍は男性的である。馬鹿げたことをいうようだが、
 じつはこの思いは少年時からあって、前記した本山への畏怖感も、
 寺名からきている。誰もこの世で龍をみたことがないだろう。その
 怪物を名に冠しているのだ。ただものでない寺の背景があって、容
 易に近よせない冷たさも感じられる。
  霊亀山とくれば尚更、この嵯峨の一角はきびしく深まる。


寺名に年号を用いたことに猛反対したのは、比叡山延暦寺。この騒ぎを
収めるためだろう、直義が夢に見た金龍に因んで「天龍」と改められた。
水上勉は、天龍寺幻想で次のように書いている(p.73)。
 
 この寺が天龍と名をかえたのは、直義が一夜夢見に、川から巨大な
 金龍があがるのをみて、寺名を改めたことになっている。川とは大
 堰川だろう。ぼくはいま、直義が見た夢の、龍がどんなものだった
 か想像する時、国師が当の直義に与えた文章を想起する。
  「元弘以來の御罪業と其の中の御善根とをたくらべば、何をか
  多しとせんや。此間も御敵とてほろぼされたる人幾何ぞ・・・
  御敵のみにあらず、御方とて合戰して死したるも、皆御罪業と
  なるべし・・・。今も連々に目出たきことのあると聞こゆるは、
  御敵の多くほろびて罪業のかさなる事なり」


引用された文章は、「夢中問答」の「17 佛法と政道」の一部で、足利直
義の次の問いに夢窓国師が答えたもの。  

 問 あまりに善根に心をかたぶけたる故に政道の害になりて、
   世もおさまりやらぬよしを申す人あり。其の謂はれありや


夢窓国師は答えて、さらに続ける。

 仁義の德政はいまだ行はれず、貴賤の愁歎はいよいよ重なる。
 世上の靜謐せぬことは偏に是れ此の故なり。何ぞ御心を善根に
 かたぶけ玉ふことの故ならんや。


吉川英治『私本太平記 黒白帖』の≪国土病む≫には、次のようにある。

  年は明けた。
  北朝の、建武四年
  南朝では、延元二年
  おかしなことだが、こう真二つに、ひとつ国土が割れ、二つの年号を
  称え、それぞれ異なる正月を迎えたのだった。
 日本の分裂症時代、“南北朝”とよばれる畸形な国家へ突入して行った年
 を、この春とすれば、以後、その大患はじつに、五十七年間もつづいた
 のである。
  これまでで、もうたくさんであったろうに、まだこの先、いぜんたる
 血みどろやら謀略の抗争を半世紀もやりつづけなければならないとは。
  たれが予想したろうか。
  たれもそんな予想はしなかった。願ってもいなかった。


黒白帖の最後、≪黒白問答≫の一つに、次の問答があった。

 問 「ではまだ当分続くのでしょうか、こんならちゃくちゃのない風潮
   と、暗黒時代が」
 答 「が、必ず朝は来ます。朝の来ない夜はない」



後醍醐天皇は、延喜・天暦の昔に立ち帰ることを夢見た。尊氏は、家時
遺した鑁阿寺(ばんなじ)置文に記された悲願の実現を夢見た。そして、
直義は、北条泰時の治世をみならい政治を進めようと夢見た。

それぞれがそれぞれの夢を実現しようとして、どれだけ多くの血が流され
たことか、どれだけ多くの恨みが生まれたことか。

次の歌は、3人が師と仰いだ夢窓国師が詠んだもの。何故かこころに響く。

 打つ人も打たるゝ人ももろともに唯一ときの夢の戯れ


.
白河生まれの私にとって、小峰城結城宗広の名には懐かしさを覚える。
福島に住んでからは、何度か訪ねた霊山霊山神社も懐かしく、北畠親房
も関心を持ったりした。いずれも南北朝時代に関わるので、この時代にもっ
と興味があってよかったはずだが、どうしてか関心が今一つ深まらなかった。

半世紀も前に、足利尊氏の墓所である等持院を訪ねたことがある。参拝者は、
私以外誰もいなかった。一方、天龍寺では観光客が結構多く、驚いたことが
ある。だが、この時も、南北朝時代のイメージは具体的に湧いてこなかった。

今回の旅行を契機に、後醍醐天皇や足利尊氏・直義が描いた夢は一体何だっ
たのだろうかと何度も問い続けた。だが、変転極まりない歴史の大きな歯車
の中で、権力をめぐってのおどろおどろした闘争が際限なく繰り返される、
どうしようもないありさまが浮かぶばかりで、すっきりとした答えが出るこ
となく、いつも後味の悪さが残った。

そんな中で、夢中問答集や風雅和歌集新千載和歌集などに接し、この時代
の息づかいをほんの少しばかり感じることが出来た。ホッとするものを覚え、
答えは出ないながらも、南北朝時代が身近に感じられ、少しばかり近寄るこ
とが出来た。 大きな収穫だった。



 ここにても雲井の桜さきにけりただかりそめの宿と思ふに
                  後醍醐天皇御製 (新葉集)   
 うづもるる身をば歎かずなべて世の曇るぞつらきけさの初雪 
                  後醍醐天皇御製 (新葉集) 
 うたゝねも月にはおしき夜半なれは中々秋は夢そみしかき
                  等持院贈左大臣 (新拾遺集)
 いまむかふ方はあかしの浦ながらまだはれやらぬ我が思ひかな
                  前大納言尊氏 (風雅集)
 うきながら人のためぞと思はずは何を世にふるなぐさめにせん
                  左兵衛督直義 (新千載集) 
 靜なる夜半のね覺に世中の人のうれへを思ふくるしさ
                  左兵衛督直義 (風雅集)
 世のために我も祈れは限ある命なりともなからへやせん
                  左兵衛督直義 (新後拾遺集)
 ちればとて花はなげきの色もなし我がためにうき春の山風
                  夢窓国師 (夢窓國師御詠草)
 雲よりも高き所に出てみよしはしも月にへだてやはある
                  夢窓国師 (新後拾遺集)



天龍寺 - Wikipedia  世界遺産|京都 嵯峨嵐山 臨済宗大本山 天龍寺 公式HP

   檀林寺 - Wikipedia
    ありしにもあらずなりゆく鐘の音つきはてんこそ哀なるへき
      -赤染衛門『赤染衛門集』 -国会図書館DC - 榮華物語. 下巻
   ・ 義空 - Wikipedia  唐國義空 -国会図書館DC- 国史大系. 第14巻 元亨釈書
   ・ 檀林皇后(橘嘉智子) - Wikipedia  帷子辻 - Wikipedia
   ・ 其の事具に石碑に載せて東寺に在り。其の碑の表題に云く、『日本首傳禪宗の記』と。
     -國譯夢窓國師語錄 -国会図書館DC - 国訳禅学大成. 第二十三卷
   歷應二年十月、勅を降し、御醍醐上皇の爲にし奉つて、離宮を革めて梵苑と作し
    て、乃ち基を開かしむ。

     -山城州靈龜山天龍資聖禪寺語錄 -国会図書館DC - 国訳禅学大成 第23卷
   ・ 五日 光嚴上皇、尊氏直義ノ奏請ニ依リ、龜山殿ヲ禪刹ト爲シ、後醍醐天皇ノ冥福
    ヲ資ケ、疎石ヲ開山ト爲シ給フ、尋デ、寺號ヲ靈龜山歷應資聖禪寺ト賜フ
      [天龍寺造營記錄] 後醍醐院號吉野新院、歷應二年八月十六日崩御事・・・
        柳營武衛兩將軍哀傷恐怖甚深也・・・且爲報恩謝德且爲怨靈納受也、
        新建立蘭若可奉資彼御菩提之旨、發願云々・・・、
        任勅願之先例、可被仰聖道家歟、不然者可爲律家歟、於禪院者臨川
        一寺既興隆了・・・、固辞然而・・・、
        其後被下院宣云、
         龜山殿事、爲被資後醍醐院御菩提、以仙居改佛閣、早爲開山致管領、
         令專佛法之弘通、可奉祈先院之證果者、院宣如此、
        同十三日、重被下勅號、
         龜山殿事、可被號靈龜山歷應資聖禪寺者、院宣如此、

     -暦應2年10月5日 -国会図書館DC - 大日本史料 第6編之5 
   ・ 吉川英治『私本太平記 黒白帖』 ≪天龍寺船≫
     夢窓は、「寺をつくるなら、なにもわしでなくともよかろう。天台や真言の律
     宗がよい。……いずれ、そこもとの発願も、後醍醐の怨霊しずめがその目的で
     あろうでな」と、尊氏の腹を見すかしているように笑って。

   ・ 國費え人疲て、飢饉疫癘盗賊兵亂止時なし。是全く天の災を降すに非ず、唯國
    の政無に依者也。
 -天龍寺建立事 -太平記下 巻24 国会図書館DC
   ・ 遠流疎石法師、而於天龍寺、以犬神人可令破却之由
     -依山門嗷訴公卿僉議事 -太平記下 巻24 国会図書館DC
   光嚴上皇、後醍醐天皇ノ靈牌ヲ歷應寺多寶院ニ祀リテ、御廟ニ擬シ給フ
     -歷應3年4月27日 -国会図書館DC - 大日本史料. 第6編之6
   光嚴上皇、歷應寺ノ號ヲ改メテ、天龍寺ト稱セシメ給フ
     -歷應4年7月22日 -国会図書館DC - 大日本史料 第6編之6
   覺皇寶殿慶讚陞座 康永4年8月晦日、この日 太上天皇臨幸
     -国会図書館DC - 国訳夢窓正覚心宗普済国師語録 下
   曹源池 曹源不涸直臻今。一滴流通廣且深。曲岸囘塘休著眼。夜闌有月落波心。
     -國譯夢窓国師語錄 ≪天龍寺十境≫ -国会図書館DC - 国訳禅学大成
   ・ 禅語「曹源一滴水」: 臨済・黄檗 禅の公式サイト
   雪ふりて花かとみゆる嵐山松とさくらぞさすがかはれる
     -夢窓国師御詠草 -国会図書館DC - 群書類従 新校. 第十二巻
   都林泉名勝圖會≪天龍寺≫ -国会図書館DC
   天龍寺庭園 -文化遺産データベース
   第238回 天龍寺『嵐山を借景に配した名庭に、禅の心を映し出す』
     - ちょっと言いたくなる 京都通:宇治茶 伊藤久右衛門 2011.11.2 -
   世界遺産を掘る -天龍寺- 京都市埋蔵文化財研究所 2015.7.18
   天龍寺 : 臨済・黄檗 禅の公式サイト
   【京都嵐山】ブラタモリ紹介の歴史・地形・・・2016.4.30 トラベルジャーナ

夢窓疎石 - Wikipedia

   夢窓国師乾徳山 恵林寺  ・ 臨川寺  ・ 等持院  ・ 西芳寺 -Wikipedia
   夢中問答集 3巻-国会図書館DC 興国5=康永三年[1344]十月八日刊
     佐藤泰舜校訂『夢窓国師 夢中問答』(岩波書店 1934)
   ・ 1 福を求むる心  (1)  (2)  (3)
      然らば則ち福をもとむる欲心をだに捨つれば、福分は自然に満足すべし。
      是の故佛教に人の福を求むる事を制するなり。福を求めずして、まづしかれ
      とにはあらず。

   ・ 4 欲心を去るてだて
      若し人、欲心をすてんと思ふ志、福をねがふ心のごとく懇切ならば、捨てが
      たしとはしふべからず。ただし欲心を捨つれば大福を得と思ふて、これを捨
      てんとせば、利餞等の計りごとをめぐらして福を求むる人にことならず。

   ・ 11 來世の果報を祈るに就いて (1)  (2)
      今生の名利を祈るを制することは、今生の夢のごとくなる名利をいのらんよ
      りは、當來に無上道を成ぜんことを祈れかしとすゝむるなり。
 
   ・ 17 佛法と政道   (1)  (2)  (3)
      元弘以來の御罪業と、其の中の御善根とをたくらべば、何れをか多しとせん
      や。此の間も御敵とてほろぼされたる人幾何ぞ。其の跡にのこり留まりて、
      らうらうしたる妻子眷屬の思は何くへかまかるべき。御敵のみにあらず、御
      方とて合戰して死したるも皆御罪業となるべし・・・。今も連々に目出たき
      ことのあると聞こゆるは、御敵の多くほろびて罪業のかさなる事なり・・・。
      仁義の德政はいまだ行はれず、貴賤の愁歎はいよいよ重なる。

   ・ 57 萬事を放下せよと勸むる旨   (1)  (2)   (3)
      白樂天小池をほりて、其の邊りに竹をうゑて愛せられき。其の語に云はく、
      竹は是れ心虛しければ我が友とす。水は能く性淨ければ吾が師とすと云々・・・
      然らば則ち山水をこのむは定めて惡事ともいふべからず、定めて善事とも申
      しがたし。山水には得失なし、得失は人の心にあり。

       * 等観院2011 禅のこころ -臨済宗天竜寺派大本山天竜寺塔頭 等観院
   ・ 64 本分の田地に到る工夫   (1)  (2)   (3)
      此の時傍らにねぶらざる人ありて、夢みる人に向ってさとして云はく、汝が
      所見の不淨の所も殊勝の境も、皆是れ夢中の妄想なり。

   夢窓国師假名法語 -国会図書館DC- 禅門法語集. 続
   打つ人も打たるゝ人ももろともに唯一ときの夢の戯れ
     - 間宮英宗『商機と禅機』(夢窓國師と武士) (1916) -国会図書館DC
   夢窓と貧乏神 -国会図書館DC - 上館全霊『近世高僧逸話』 (1915)
   悟りへの道-夢窓疎石の教え- 平成12年8月27日NHK教育テレビ「こころの時代」
   川瀬一馬校注『夢窓疎石 夢中問答集』(篠原書店 1936) 松岡正剛の千夜千冊 187夜

後醍醐天皇 - Wikipedia

   君の御聖斷は、延喜天暦の昔に立帰りて、 梅松論上 校註日本文学叢書. 第10巻
   三月辛亥朔。日蝕。勅召僧疎石於鎌倉。董南禪之席。石稱病不至・・・。八月戊
   寅朔。勅征夷大将軍守邦親王再召僧疎石不能拒。而到京。帝召對便殿。

     -後醍醐天皇 正中2年(1325) -国会図書館DC - 本朝通鑑. 第十一
   玉骨は縦南山の苔に埋るとも、魂魄は常に北闕の天を望んと思ふ。若命を背義を
   軽ぜば、君も繼體の君に非ず、臣も忠烈の臣非じと、委細に綸言を遺されて、左の
   御手に法華經の五巻を持せ給、右の御手には御劔を按て、八月十六日の丑刻に、遂
   に崩御成にけり。

     -先帝崩御事 延元4年(1339)8月16日 -国会図書館DC - 太平記. 下
   ・ 吉川英治『私本太平記 黒白帖』 ≪秋霧の御記≫
     なんで死にのぞんで、世まい言にひとしい妄念を-苦しい御息の下から吐き給
     う-などのはずはない。「太平記」の舞文に過ぎない。

   ・ 古典への招待 【第55回:後醍醐天皇と足利尊氏】
   須らく知るべし帝運の時を得ざることを。
     -國譯夢窓國師語錄 多寶院欽んで御醍醐院の聖忌に遇ふて御坐を奉安す
   山田孝雄校訂『神皇正統記』(岩波書店 1934) p.155~
     天下の萬民は皆神物なり。君は尊くましませど、一人をたのしましめ、萬民を
    くるしむる事は、天もゆるさず、神もさいはひせぬいはれなれば、政の可否に
    したがひて、御運の通塞あるべしとぞおぼえ侍る・・・。

    私をさきとして公をわするゝ心あるならば、世に久きことわりもはべらじ。
   ・ 北畠親房『神皇正統記』([訳]松村武夫 教育社 1980)松岡正剛の千夜千冊 0815夜
   ・ 村松剛『帝王後醍醐』(中央公論社 1978) 松岡正剛の千夜千冊 1223夜
   ・ 村井章介編『南北朝の動乱』(吉川弘文堂 2003) 松岡正剛の千夜千冊 1224夜

足利尊氏 - Wikipedia

   されば又義家の御置文に云。我七代の孫に吾生かはりて。天下を取べしと仰せら
   れしは。家時の御代に當たり。猶も時不來事を志ろしめしければにや。八幡大菩薩
   に祈申給ひて。我命をつゞめて。三代の中にて。天下をとらしめ給へとて。御腹を
   切給ひし也。其時の御自筆の御置文に子細はみえし也。まさしく兩御所の御前にて。
   故殿も我等なども拝見申たりし也。今天下を取事唯此發願なりけりと。兩御所も仰
   せありし也。

     -難太平記 -国会図書館DC - 群書類従. 第拾四輯
   ・ 山田敏恭『足利家時置文再考』 -関西学院大学リポジトリ
   或時夢窓国師談議の次に、兩將の御徳を、條々褒美申されけるに、先づ將軍の御
   事を仰せられけるは・・・第一に、御心強にして合戦の間、身命を捨て給ふべきに
   臨む御事、度々に及ぶといへども、咲を含みて怖畏の色なし。第二に、慈悲天性に
   して、人を惡み給ふ事を知り給はず。多く怨敵を寬宥ある事、一子の如し。第三に、
   御心廣大にして、物惜の氣なし。

     -梅松論 下 国会図書館DC - 校註日本文学叢書. 第10巻
   潜に浄光寺に御座ありし程に、海道の合戦難儀たる由聞食して、將軍仰せられけ
   るは、守殿命を落されば、我ありても無益なり。但違勅の心中に於て、更に思召さ
   ず。

     -建武2年12月 梅松論 上 国会図書館DC - 校註日本文学叢書. 第10巻
   本朝將軍補任兄弟無其例事 -延元11月5日 太平記 巻19 上 国会図書館DC
   この世ハ夢のごとくに候。尊氏にだう心たバせ給候て、後生たすけさせをハしま
   し候べく候。猶々とくとんせいしたく候。だう心たバ給候べく候。今生のくわほう
   にかへて、後生たすけさせ給候べく候。こんじょうのくわほうをバ直義にたバせ給
   候て、直義あんをんにまもらせ給候べく候。

     -足利尊氏自筆願文〈建武三年八月十七日/清水寺宛〉 -文化遺産DB
   ・ 栃木県立博物館開館30周年記念特別企画展(2012年) -図録-
   ・ 湊川で楠木正成をやぶり、がいせんして光明天皇をわが手で擁立した得意絶頂
    のとき、彼が清水寺へ納めた願文なのである。こんなにまで愛していた弟を彼
    はやがて殺す。後醍醐にそむく。七百年逆賊とよばれてこの国の奈落に哭く。
    この一文は彼を解く一ツの鍵だ。

     -吉川英治『随筆 私本太平記』 ≪南北朝文化展を観て≫
   ・ あの人の字をなぞってみた(2) - もじのすけ の文字ブログ
   運は天にあり、何の用心かすべきとて、褒貶の短冊取出し、心閑に詠吟し、打
   嘯てぞ坐ける

     -褒貶の短冊-歌合の短冊 -太平記 下 巻30 -国会図書館DC -

足利直義 - Wikipedia

   三條殿は・・・御身の振廻廉直にして、實實しく僞れる御色なし。此故に御政道
   の事を、將軍より御譲ありしに、同じく御辭退再三に及ぶといへども、上御所御懇
   望ありし程に。御領狀あり。其後は政務の事に於ては、一塵も、將軍より御口入
   の儀なし。

     -梅松論 下 国会図書館DC - 校註日本文学叢書. 第10巻
   袖の色のかはるときけは旅衣立かへりても猶そ露けき -新千載和歌集 18 雑下
   ・ いや、直義を見直したわえ 吉川英治『私本太平記 湊川帖』 ≪袖の色≫
   家によりて身を云「たつ」べしと。努々思ふべからず。文道をたしなみて。御代の
   御助となりて。其徳によりて可立身と朝夕錦小路殿(直義)仰有き。

     -難太平記 -国会図書館DC - 群書類従. 第拾四輯
   国宝『宝積経要品〈足利尊氏、同直義/夢窓疎石合筆〉』 -文化遺産DB
      ト書: 康永三年[1344]十月八日直義奥書/紙背短冊 百二十葉
   ・ 前田育徳会編『国宝 宝積経要品 高野山金剛三昧院奉納和歌短冊 』(勉誠出版 2011)
   ・ 前田育徳会編『宝積経要品 尊経閣叢刊. 解説』 -国会図書館DC
   ・ 「宝積経要品」の中にある足利直義跋文-高田芳春『短冊にあそぶ』 p.23 21/30
   左兵衛督政道口入可被止之 -園太暦 貞和5年8月13日 師直反逆事
   ・ 或云、直義卿今日遂素懐歟云々 -園太暦 貞和5年12月8日
   ・ 今直義非正員儀、已失時體也 -園太暦 貞和5年12月11日
   無幾程其年の觀應三年壬辰二月二十六日、忽に死去し給けり。俄に黄疽と云病に
   被犯、無墓成せ給けりと、外には披露ありけれ共、實には鴆毒の故に、逝去し給け
   るとぞさゝやきける。去々年の秋は、師直上杉を亡し、去年の春は、禅門師直を被誅、
   今年の春は禅門又怨敵の爲に毒を呑て、失給けるこそ哀なれ。

     -慧源禪門逝去事 観応3年(北朝)/正平7年(南朝)(1352) -太平記 下 巻30
   ・ しかし、この風評は直義の突然死を説明するには都合がよいものであるが、史実
    でないと思う・・・。多くの研究者がこの事を疑問視しながらも毒殺説を記している
    ことに問題を感ずる。

     -峰岸純夫『足利尊氏と直義』(吉川弘文館、2009年) (p.88)

太平記 ・ 難太平記 ・ 二条河原の落書  - Wikipedia  ・ 文化史08 二条河原落書

   太平記 上   ・ 難太平記  ・ 神皇正統記  ・ 梅松論  ・ 讀史餘論
   吉川英治『私本太平記』  - 青空文庫 -
   吉川英治『随筆 私本太平記』 - 青空文庫 -

MFA:Boston Return of the Dragon Shohaku’s Dragon and Clouds March 21, 2014 –

   東京国立博物館140周年 特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」 2012.3.20~
   ・ 東博 -1089ブログ 『至宝とボストンと私』 蕭白 2012.3.29
   ・ ボストン美術館 日本美術の至宝 【インターネットミュージアム】 2012.3.21
   ボストン美術館 日本美術の至宝|名古屋ボストン美術館 2012.6.23~
   曾我蕭白「雲龍図」 -KIRIN~美の巨人たち~ 2013.3.9 放送
   九州国立博物館 特別展『ボストン美術館 日本美術の至宝』 2015.1.1~3.17
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