独りよがりのつぶやき

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元離宮二条城

H28.8.17(火) その9  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

今日は旅行の最終日。最初の見学先の二条城は、ホテルからは目と鼻の先。
出発時間が若干繰り上げられたので、開城時間(8:45)の直前に着いた。
入り口の東大手門は、来年3月までは修理工事中でシートに覆われていた。
代りに?記念撮影用だろうか、大きなパネルが用意されていた。

二条城の築城は、家康により、関ケ原の戦いの翌年に天下普請として始め
られ、慶長8年(1603)に竣工した。その後、三代将軍家光のときに、後
水尾天皇の行幸(寛永3年(1626))を迎えるための大改築が行われ、今
日見るような形で整備されたとか。

明治17(1884)に宮内省の所管となり、「二条離宮」と改称されたが、
昭和14年(1939)に京都市に下賜され、現在は、「元離宮二条城」が正
式名称となっている。


 【東大手門】  二条城の正門

東大手門


 【二の丸御殿】

  唐門  二の丸御殿の正門  

二の丸御殿唐門


  車寄  二の丸御殿の玄関

二の丸御殿車寄


  遠侍  大名の控えの間  

二の丸御殿遠侍


  庭園側から見た二の丸御殿  右から遠侍・式台・大広間

庭園側から見た二の丸御殿


  庭園  別名「八陣の庭」

二の丸庭園(1)


二の丸庭園(2)


二の丸庭園(3)


 【本丸御殿】

   創建当時の本丸御殿は、二の丸御殿にほぼ匹敵する規模をもち、
   また、本丸には五層の天守閣が聳えていたが、寛延3年(1750)
   に落雷のために焼失、さらに天明8年(1788)には市中の大火
   のために殿舎をも焼失したそうだ。
    
   現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸
   御殿を、明治26年から27年にかけて本丸内に移築したもの。

  御常御殿  中二階があるので三階建てのようにみえる

本丸御殿御常御殿(1)


  御書院・御常御殿  皇女和宮は、14代将軍家茂に嫁がれる前に、
            旧桂宮邸に約1年8ヶ月間住んでおられた。

本丸御殿:御書院・御常御殿


  天守台から北東を望む  遠くには比叡山の姿も

本丸御殿天守台から北東を望む


  庭園  明治29年(1896)に完成した回遊式洋風庭園

本丸御殿御常御殿(2)


  玄関  二の丸御殿とは異なり、落ち着いた雰囲気がある。
      現在は、耐震性が十分でないため、公開されていない。

本丸御殿玄関


  シダレエンジュ《枝垂れ槐》  北大手門に向かう途中で

シダレエンジュ(1)


シダレエンジュ(2)


二条城については、家康と秀頼の対面大政奉還の舞台となった程度
の知識しかなかったが、今回の旅行でいくつか興味あることを知った。

 ・ 江戸時代の洛中洛外図では二条城を描くものが多い。中には、
  秀忠の五女和子後水尾天皇の女御として入内した際の行列
  や、後水尾天皇の二条城行幸の様子を描いたものがある。
 ・ 後水尾天皇は、京都御所など京都にある皇室関連施設のすべ
  てに関わりを持っている。
 ・ 古田織部の切腹・家財没収の理由は、夏の陣で、織部の家臣
  が二条城に火をかけ、家康、秀忠の暗殺を陰謀していたこと
  が発覚したこととされているが・・・。
 ・ 嘉永7年(1854)の大火による内裏の類焼により、孝明天皇
  は、下鴨神社、聖護院へと難を避け、さらに延焼を免れた桂宮
  邸を仮御所とし、新御所が完成するまでの約1年半を桂宮邸で
  過ごされた。


徳川和子は二條城から御所へ向かい、皇女和宮は桂御所から江戸城へ
向かった。今ここに、「和」で繋がるお二人がおられたら、一体どん
なことを語り合っておられるだろうかと、ふと思った。


.
元離宮二条城 ・ 二条城 ・ 桂離宮と修学院離宮 ・ 内裏から京都御所へ

洛中洛外図屏風(林原本) -林原美術館 平成24年度 特別展
洛中洛外図屏風(舟木本) - e国宝
洛中洛外図屏風 C本 〔高精細画像Flash版〕 - 国立歴史民俗博物館
洛中洛外図屏風 F本 左隻 〔高精細画像Flash版〕 - 国立歴史民俗博物館
特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」  ・ 洛中洛外図  ・ 二条城
紙本著色東福門院入内図〈/四曲屏風〉 文化遺産オンライン
   ・ 京都市上京区役所:徳川和子の入内
寛永行幸記 -絵巻物 -国立国会図書館開館60周年記念貴重書展

二条城二の丸御殿唐門保存修理工事完成について― 菊紋の下に隠された
  葵の御紋 ― - 2013年8月 元離宮二条城事務所

二条城東大手門修理工事について -平成28年1月 元離宮二条城事務所 
二条城の区画、東に微妙な傾き(とことんサーチ) -日経 2016/2/6
二条城の天守閣復元を 有識者会議が提言案 京都新聞 2016年7月27日
   ・ 二条城の天守閣復元、京都市「可能性を検討」 京都新聞 2016年9月16日
大政奉還150周年記念プロジェクト -歴史に学び 地域でつながり 未来に活かす-

1046夜 熊倉功夫『後水尾院』 朝日新聞社 1982 - 松岡正剛の千夜千冊     
加賀・前田家と文化振興 石川県立美術館・村瀬氏が新説-中日新聞 2015年
後水尾天皇と和子|歴史秘話ヒストリア – テレビのまとめ



【年表】

 慶長5年(1600)2月28日 政仁(後水尾)親王宣下
 慶長6年(1601)12月 建築二條城 關西の諸大名に課して京二條を營築せしむ。
 慶長7年(1602)正月6日 慶長七年叙從一位尋上洛
 慶長8年(1603)2月12日 家康将軍宣下
 慶長8年(1603)3月21日 家康入洛
   伏見城より御入洛ありて。二條の新御所に入らせ給ふ。(去年聚楽の御舘
   を二條に引遷さる。これを二條の新御所又は新屋敷と稱す。いまの二條城
   なり。)

 慶長10年(1605)5月8日 家康求秀頼來伏見對面而淀君不聽
 慶長12年(1607)10月4日 和子(東福門院)生
   この日御所第八の姫君生れ給ふ。御臺所の御腹にて後に御入内あり。
   御水尾院の中宮にたゝせ給ひしなり。(御年譜。創業記。世に傳ふる所。
   此姫君生れ給ひしとき。江戸中に異香馥郁たりしといふ。御先祖記。)

 慶長16年(1611)3月13日 造営内裏
 慶長16年(1611)3月27日 後水尾院受禪
   今上(後陽成院。)御位を三宮(御水尾院。)にゆづらせ給ふ。この宮は
   慶長元年むまれ給ひ。同五年御齢五歳にて親王宣下あり。十五年御元服。
   けふ御とし十六にて御受禪まします。

 慶長16年(1611)3月28日 秀頼赴二條城對面家康  ・ 清正記 巻三
 慶長18年(1613)6月16日 公家法度・紫衣勅許之制
 慶長19年(1614)11月27日 勅使臨陣賜綸旨

 元和元年(1615)5月3日 西軍欲擁天皇
 元和元年(1615)6月11日 令古田重然自害
   古田織部正重然。伏見木幡に於て切腹せしめらる・・・。千利休宗易が随
   一の弟子なれば。宗易罪せられて後は。世人重然を以て一世の宗匠と尊敬
   せり・・・。万石に列る。志かるに今度大坂に内通し。兩御所出京の跡を
   うかがひ。京都を燒拂はんと謀りたる事露顕しかく罪せらる。

 元和元年(1615)7月17日 禁中幷公家諸法度
 元和5年(1619)9月18日 罸亂淫󠄀之公卿
 元和6年(1620)5月4日 秀忠女爲女御 
   第七の姫君(御諱和子)女御にさだまらせたまひ。今度御入内あるをもて。
 元和6年(1620)5月8日 姫君江戸を出たゝせ給ふ。
 元和6年(1620)5月28日
   姫君都へ入らせたまふ・・・。都にはこの御行粧を拜し奉らんとて。見物
   の貴賤街衙にみち。紅塵天をおほふ。この日二條の城にいらせたまへば。
   大内よりの御使も度かさなり。月卿雲客參りつどひ・・・。

 元和6年(1620)6月18日 和子入内
   都にてはけふ女御入内し給ふ。かねて二條の城より大内迄の道作り。
 元和9年(1623)11月19日 明正院御誕生
   けふ京にて女御御出産ありて。皇女(明正院御事。)降誕し給ふ。

 寛永3年(1626)9月6日 天皇女院行幸二條城 
 寛永3年(1626)9月8日 後水尾院行幸二條城
 寛永5年(1628)2月6日 仙洞造營
 寛永6年(1629)11月8日 後水尾天皇俄譲位明正天皇
 寛永7年(1630)7月13日 訓令板倉勝重(明正院即位等)
 寛永7年(1630)9月12日 明正院即位
 寛永7年(1630)12月16日 仙洞經營告竣して

 嘉永4年(1851)7月12日 和宮親子内親王・有栖川宮熾仁親王縁組内示
 安政元年(1854)4月15日 桂殿を以て假皇居と爲し是日聖護院より遷御す
 安政2年(1855)11月23日 假皇居より新造内裏に遷幸す
 安政7年(1860)2月23日 和宮参議藤原實麗橋本第より桂御所に移り給ふ
 万延元年(1860)8月15日 和宮關東ヘ降嫁ヲ承諾ノ事 ・ 再三の上諭に依て
   御いやさまの御事なから御上の御爲と思召關東に成らせられ候まゝ
   能々申入候やう宮樣仰られ・・・。

 文久元年(1861)4月19日 和宮を内親王と爲し御名を親子と給ふ
 文久元年(1861)10月20日 親子内親王京都發輿ノ事
   親子内親王桂御所ヲ發シ大津驛ニ泊ス具視之に從フ
 慶応3年(1867)10月14日 徳川慶喜上表政権奉還ノ事
 慶応3年(1867)10月14日 政権奉還の上表 -会津戊辰戦史




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