独りよがりのつぶやき

花の写真を中心とした 気ままなブログです

師走の花見

H28.1.12(火)

昨年は、ロウバイを見るために、花見山を3回ほど訪ねた。

初回は、1月12日。
ソシンロウバイ《素心蝋梅》(登り口右手)

H27.1.12 ソシンロウバイ


2回目は、2月13日。
ソシンロウバイ(登り口右手)

H27.2.13 ソシンロウバイ


そして3回目は、12月17日。登り口右手のソシンロウバイが、
たくさんの花をつけたまま折れていた。

倒れた枝の後片付けをしていた3代目当主の阿部一夫さんが、
「先日の雪と風にやられてしまって。今年のロウバイやツバ
キの開花は、いつもより早いね。」と仰った。

お話のとおり、すでに結構開いていた。気をもんで出かけて
来たおかげで、見ることができた。 よかった。

ソシンロウバイ(ロウバイ畑)

H27.12.17 ソシンロウバイ


ジュウガツザクラ《十月桜》が気になって山頂の先に出たら、
予想していた以上に見事に咲いていた。春霞がかかったよう
な桜の樹の下で、真っ赤に色づいたナンテン《南天》の収穫
作業をしていた人たちが、手を休めて車座になり、時ならぬ
花見を楽しんでいた。 仲間入りをさせてもらった。

 ジュウガツザクラ《十月桜》

H27.12.17 ジュウガツザクラ
 

 DB:師走の花見

  


ロウバイとジュウガツザクラについては、昨年1月にもデジ
ブック『寒花』を作った。今回は、同じ所の同じ花を主役に、
2年参りならぬ2年越しでの制作 ・・・ 2年も楽しめるなんて、

  「 こいつぁ 春から縁起がいいわえ~! 」

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  1. 2016/01/12(火) 23:39:10|
  2. 花のすがた
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振り返って

H28.1.21(木)

詩人の加島祥造さんが、昨年暮れの25日に亡くなられた。
こころからご冥福をお祈りします。

加島さんの本は、「求めない」「わたしが人生について語る
なら」「受いれる」の3冊しか持っていない。その本のどれも
が、読み返すつど、肩の力が抜けて、こころが軽くなり、知
らないうちに元気を与えてくれるものばかり。

これからも、幾度となく本棚から取り出して読むことだろう。

 感謝を込めて ・・・ 合掌。



『わたしが人生について語るなら』(2011年 ポプラ社)から(p.67~)

   - 第1章 十代の私が八十代の私を助ける -

 楽しむことを大切にする(抄)

  振り返ってみて良かったと思えることは、自分の好きなことをやってこ
 れたということだ。こんなことを言うと、奇妙に思うだろうか。世間の人
 は、苦手を克服したり、じっと辛抱することが大切と言う。楽しいことば
 かりをしているとダメ人間になると思っている。でも、私が自分の人生を
 考えてみると正反対の結論になるんだ。よく遊び、好きなことをし、楽し
 むことが大切だと思える。
 「好きなこと」というのは、楽しいと思う遊びから勉強や仕事まで、すべ
 てを指す。青年期までは町や野山で遊んだこと、映画や音楽にたくさん触
 れたこと、友だちとグループを作って詩を書き合ったこと、中年からは釣
 りや碁を楽しんだり、おいしいものを食べたり、すぐれた女性とデートし
 たこと、全部だ。そしてそれらが私を助けてくれた。好きなことをやるこ
 とで力が湧いた。好きでやって覚えたこと、感じたこと、身についたこと
 が私を助けた。
  ・・・
  逆に考えると、将来役に立つだろうと計算して何かをやるのは、かえっ
 て損をすると言えるかもしれない。目標は達せられるかもしれないが、そ
 れが終わるとあとは役に立たない。ところが好きでやることは、次の場面
 でもたくさん応用できる。未来の目標を持ってやるのもいいけれど、目的
 意識だけに縛られると「好きでやる」という方向を見失ってしまう。好き
 でやることなら、その人に深くしみこんで、消えないんだ。好きなことを
 するのが大切だという第一のポイントは、ここにある。つまり、体が覚え
 る。
  ・・・
  好きなことをやるのが大切だという第二のポイントは、好きなことをし
 ていれば、次の「好きなこと」を見つける力が湧いてくるということだ。
 世間ではよく子どもや若い人に「自分の好きなことを見つけてそれに向
 かって進みなさい」と言う。しかし、私が言いたいのは、それとはちょっ
 と違う。どこが違うかというと、「自分の好きなことに向かって進む」と
 いうとき、それは将来のことを言っている。「好き」なことは遠くのほう
 にあって、そこへ向かって歩いていくための目標になってしまっている。
 でも本当の「好き」は、「今、このとき」の感情だ。「今」したいと思う
 ことを「今」する。それが「好きなことをする」ことの本来の姿だ。
  ・・・
  もうひとつ、大切なポイントがある。好きなことをするのが大切な第三
 の理由だ。それは、自分の好きなことをしていると、他の人のすることが
 気にならない。自分の好きなことをやって幸福な気持ちでいる人というも
 のは、他の人の幸福も許せるものなのだ。他の人のすることをうらやんだ
 りねたんだりしない。他人を押しのけたり、傷つけたりするような気持ち
 は起こらない。
  ・・・
  だから、自分が楽しい気持ちでいるのは、自分自身のためばかりではな
 く、まわりの人のためでもある。自分の好きなことをして人生を楽しむこ
 とが大切なのだ。楽しいことは、決して罪悪感を持つようなことではない。
 自分で自分を幸福な状態にしてあげることは、とても大切な、価値あるこ
 となんだ。ただし、自分の好きにすることで他の人たちを傷つける ──
 の面もあるからね。その人たちのことも考えた上でするべきだよ。
     




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  1. 2016/01/21(木) 13:17:34|
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だめなときは

H28.1.22(金)

加島祥造さんは、1923年(大正12年)の生まれ。早稲田大学
に通っていた22歳のとき、軍隊に召集された。千葉県の訓練
所に配属され、「新米兵士として毎日訓練を受けたり、土を運
んだり、木を切ったりする作業をやらされていた」。

軍隊生活は、「命令を聞くことだけが大切で、自由などひとか
けらもない」。「つらい生活から逃れたい、でも逃れられない
という絶望的な状況」の中で、「もしこの軍隊から逃げ出すこ
とができたら、どこか田舎へ行き、静かに暮らしたい」との激
しい思いが突然に湧いてきたそうだ。

「腕の一本でも切り落とせばここから逃げられる、そうするし
かない」と思い詰め、大きな鋸の歯のついた機械に自分の腕を
突っこんだというのだから、これまた凄まじい。

そんな過酷な戦争体験のもとで、『わたしが人生について語る
なら』(2011年 ポプラ社)
の第2章にある、「だめなときは、
逃げればいい」という考えが生まれたそうだ。

この本は、児童向けに刊行された『未来のおとなへ語る(8)
わたしが人生について語るなら』(2010年 ポプラ社)
を内容
はほとんどそのままに、年長者向けに編集し直した作品。

「だめなときは、逃げればいい」という考えを、子供に対して
も、また大人に対しても語ることは、とても勇気のいることだ
と思う。この言葉を最初に目にしたときは、一寸違和感を覚え
たが、2度、3度と読み返すうちに、その違和感も消え、今は、
こころに素直に沁み込んでいる。



加島祥造著『わたしが人生について語るなら』から(p.84~)

 - 第2章 好きなことが生きるエネルギーを生む -

  だめなときは、いったん逃げればいい(抄)

  そのほかに、自分の人生から、他の人の役に立つようなことを私が言え
 るとすれば、それは、「逃げる」ということかもしれないな。いやなこと
 からはいったん逃げてみるということだ。
  好きなことばっかりやってきたと言ったが、私もずっと順調だったわけ
 ではない。人生が行き詰まったように感じたり、うまくいかず困ったとき
 もある。でもすっかりあきらめて投げやりになってしまうことはなかった。
 こっちをつつき、あっちを嗅ぎまわり、抜け出せる道はないかと探って
 いった。そのうちに思いがけないルートを発見することもあるし、「うま
 くいくかどうか、ちょっと試してみよう」と、おそるおそる進んでいくこ
 ともある。前に行っているのか、後ろに行っているのかわからなくても、
 とりあえず行けるほうへ行ってみたんだ。
  行き詰まったら横道へそれて、また行き詰まったらまたそれて・・・と、
 ジグザグに進んできた。それが私の人生の進み方だった。だから、そうい
 う進み方で大丈夫だ、ということが経験としてわかるのだ。正々堂々と正
 面から困難に立ち向かったり、じっと堪え忍ぶことが大切だと言う人もい
 る。でも、それ以外の方法もあるよ、と私は言いたい。気楽な気持ちで違
 う方向を探し、いろいろな方向からつついてみればいい。あるいは、さっ
 とよけてみる。あるいは知らん顔して通り過ぎる。そういう「ごまかし
 かた」が役に立つ場合もある。
  私がこう考えるのには、若いころのある経験がもとになっている。それ
 は、私にとって、ほとんど唯一の暗い記憶と言える。軍隊時代のことだ。
 ・・・
  すっかり絶望的な気持ちで毎日を過ごしていたのだが、五か月後のある
 日、戦争が終わった。それは、あまりにもあっけなくて拍子抜けするよう
 な結末だった。自分の体を傷つけてでも何とか檻を壊して抜け出そうと必
 死でもがいていたのが、どこからか手が伸びてきて檻の鍵を開けてくれて、
 開け放たれた扉からするっと外の世界に出ることができたのだ。
  こんな体験から私は何を学んだか。それはね、人間がいくらじたばたし
 てもダメなときはダメなんだ、ということさ。でも、生きてじたばたして
 いれば、いつかは道が開けてくるものだ、ということも知った。戦争のまっ
 ただなかにいるときは、いつか戦争が終わるなど想像もできないことだっ
 た。私ばかりではない。誰も想像できなかったに違いない。でも誰も予想
 しなかったことが現実になり、世の中は根底からひっくり返った。あんな
 に願っても手に入れられなかった自由が、天から降ってきた。
  今だって、これから先、こういう大きな転換が起こらないと誰が言える
 だろうか。先のことなんてわからない。どの方法がいいかなんてこともわ
 からない。逃げたりごまかしたりしながら、でもあきらめないでいたら、
 大丈夫なのだと思う。社会も世の中も、そして自分もどんどん変わってい
 く。今ダメだったら次には良くなるかもしれないし、今良くても、次には
 ダメになるかもしれない。変わっていかないものなんてないんだ。
  だから、もし今つらい状況にあったとしても、絶望することはない。正
 面から立ち向かって解決するのもひとつの方法だが、頑張ってどうしよう
 もないとわかったら、あきらめてじっとしていればいい。変化っていうの
 は、思いがけないときに起こるものなのだ。 
 




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  1. 2016/01/23(土) 23:01:35|
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柔らかいもの

H28.1.31(日)

加島祥造さんは、たくさんの顔を持っている。「詩人の」と
単純に言ってしまいがちだが、詩作活動だけではなく、英米
文学者、翻訳家、随筆家、タオイスト、墨彩画家として、幅
広い創作活動や執筆活動をされた方だ。

早稲田大学文学部を卒業してから、信州大学、横浜国立大学、
青山学院女子短大で英米文学を教えていた。40歳代に東洋の
思想に関心が向かい、60を過ぎたころアーサー・ウェイリー
の英訳『老子道徳経』と出会って、「こんなおもしろいこと
を言っている人がいたのかと夢中になった」そうだ。

1966年(昭和41年)から信州の伊那谷に通い始め、1995年
平成7年)には、横浜から、中央アルプスと南アルプスに抱
かれた中沢という山里に移り住んだ。

 夕すげの庵と名づけ住みくらす夢より覚めて秋雨を聞く
                    加島 祥造

小高い丘の上にある山荘「晩晴館」には、「生涯で最初に心
を打たれた草花」のユウスゲ《夕菅》が咲くとか。そこで、
画を描き、詩を読み、本を紐解く・・そのような静かな暮ら
しの中から、多くの作品が生まれた。

今度は、老子に関する本を読んでみようと 思った。



加島祥造著『わたしが人生について語るなら』から

 - 第3章 命を通して人間を見る -

  自分という中心にかえる(抄)(p.132~)

   ・・・
  『老子』のなかに、こんな部分があるよ。

   君はどっちが大切かね──
   地位や評判かね、
   それとも自分の身体かね?
   収入や財産を守るためには
   自分の身体をこわしてもかまわないかね?
    
   何かを取るのが得で
   何かを失うのが損か、本当に
   よく考えたことがあるかね?

   名声やお金にこだわりすぎたら
   もっとずっと大切なものを失う。
   物を無理して蓄(た)め込んだりしたら、
   とても大きなものを亡くすんだよ。

    (『タオー老子』(ちくま文庫)「第四四章 もっとずっと大切なもの」より)


  やさしく柔らかいものほど強い(抄)(p.135~)

    老子はまた、こうも言う。ほんとうに強いものは、柔らかい。なぜなら、
   固いものは、強く見えても、もろいのだ。柔らかいものは、弱いようでも、
   しなやかだ。水や空気と同じように薄いすき間にだって入り込んで働き、
   岩のような固いものを粉々にする。そういう働きは静かで目立たず、人々
   になかなか気づかれない。
    老子は柔らかいものを大切にする。なぜなら柔らかさが、命の働きに沿っ
   た性質だからだ。生まれたばかりの赤ちゃんは柔らかい。動物も植物も、
   生きているものというのはしなやかで柔らかい。死ぬと乾いて、固くなる。
    私たちは普通、強い人をほめる。強い人にあこがれる。でも老子は、柔
   らかさ、やさしさ、繊細さというものがもっとも大切だと言う。このよう
   な指摘をした人は、歴史上でもあんまりいない。なぜなら社会はいつも競
   争するからだ。
    でも、以前、こんな光景を見たよ。
    ・・・
    命がどういうものか、子どもたちがいちばんよくわかっている。「やさ
   しい」ということの価値を知っている。やさしくて柔らかい、母のような
   存在を求めている。ただ、おとなたちが、「もっと勉強しろ、もっと強く
   なれ、もっと、もっと・・・」とお尻をたたく。お尻をたたくだけでなく、
   「そんなことではダメ人間になる」とか「強くならないと社会で生きてい
   けない」などと恐怖を与えて自分の思い通りにさせようとする。でも、
   繰り返し言うが、命という大きなものにつながって、やさしくて弱い自
   分でいれば大丈夫なんだ。
    私の家の窓からは、日本アルプスの高い山々がよく見える。下から眺め
   る山は、驚くほど細かいところまで、じつにくっきりしている。何千メー
   トルも離れているはずなのに、雪の積もり具合や、岩のごつごつした具合、
   木々の葉が風に揺れる様子までが見える。ところが山に登って下を見下ろ
   すと、全体的な景色の広がりが見えるだけで、細かいところはちっとも見
   えない。
    どうやら低いところにいたほうが、ものごとはよく見えるらしい。人は
   よく見たいと思うと高いところに登りたがるが、実際は低いところから見
   上げたほうがよく見える。英語で「理解すること」をunderstandという。
   under というのは「下に」という意味、 stand は「立つ」だ。下に立つ
   ということが、「わかる」ということなんだ。
    だから、安心して低いところにいたらいい。いちばん後ろから行く自分、
   ダメな自分、弱い自分でいたらいい。そうしたら、いつか自分の中のもっ
   ともいい部分を見つけて、育ててゆくことができる。 


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  1. 2016/01/31(日) 22:18:45|
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