独りよがりのつぶやき

花の写真を中心とした 気ままなブログです

一つの愉しみ

H18.1.16(火)

天気も良く、花見山へ出かけた。

 ロウバイ《蝋梅》

1801161049 ロウバイ


1801161205 ロウバイ


 ジュウガツザクラ《十月桜》

1801161114 ジュウガツザクラ


1801161118 ジュウガツザクラ


 オオイヌノフグリ《大犬のふぐり》

1801161136 オオイヌノフグリ


 アカバナマンサク《赤花満作》

アカバナマンサク


1801161155 アカバナマンサク


この時季、花に会えるのは嬉しい。
間もなくマンサクも開くだろう。その頃に、また来ようと思った。

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  1. 2018/01/19(金) 22:09:01|
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師走もなかば

H29.12.15(金)

12月も半ばになると、どうしてか、せわしない気分に襲われる。

年末の掃除や正月の準備などはかみさんに任せっきりで、大した
手伝いもしないというのに、おかしなものだ。

年賀状やカレンダーづくりをやめれば、すこしはそんな気分から
解放されると思ったりするが、なかなか思うようには運ばない。

今年はカレンダーづくりをやめようと思っていたのだが、ついつ
い、かみさんに笑われながらも、候補画像を選んでいた。


 1月 フクジュソウ《福寿草》

1月 フクジュソウ


 2月 ツバキ《椿》

2月 ツバキ


 3月 ウメ《梅》

3月 ウメ


 4月 マメザクラ《豆桜》

4月 マメザクラ


 5月 チゴユリ《稚児百合》

5月 チゴユリ


 6月 キョウカノコ《京鹿子》

6月 キョウカノコ


 7月 ハス《蓮》

7月 ハス


 8月 クズ《葛》

8月 クズ


 9月 ヒガンバナ《彼岸花》

9月 ヒガンバナ


 10月 シュウメイギク《秋明菊》

10月 シュウメイギク


 11月 黄葉

11月 黄葉


 12月 サザンカ《山茶花》

12月 サザンカ



   十二月のうた   茨木のり子

 熊はもう眠りました
 栗鼠もうつらうつら
 土も樹木も
 大きな休息に入りました

 ふっと
 思い出したように
 声のない 子守唄
 それは粉雪 ぼたん雪

 師も走る
 などと言って
 人間だけが息つくひまなく
 動きまわり

 忙しさとひきかえに
 大切なものを
 ぽとぽとと 落してゆきます



  『茨木のり子集 言の葉 3』(筑摩書房 2002年10月) p.100
     詩集未収録作品 (初出:「装苑」1965年12月号)



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  1. 2017/12/15(金) 20:08:17|
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黒岩虚空蔵堂

H28.4.9(土) その8  1 2 3 4 5 6 7 8

虚空蔵さんというと、どうしても柳津町にある福満虚空蔵さんを
思い出す。只見川から眺める、岩盤の上に立つ虚空蔵堂の壮麗な
姿は、例えようもない美しさだ。

最初の赴任地が会津坂下町だったことから、隣町の柳津には、虚
空蔵さんをはじめとして、温泉、粟饅頭、ウグイなど、懐かしい
思い出がたくさん詰まっている。

そんな昔のことを振り返りながら、散り椿の花びらを追っかけた。
花びらの先、断崖の柵の奥に、阿武隈川が流れていた。

№1 散り椿の奥には


柵のところまで行き、大きく深呼吸した。阿武隈峡の眺めがとて
も心地よかった。柵に寄りかかっていて、ドナルド・キーンさん
の「福島で一番気に入ったのは、黒岩虚空蔵の景色」という言葉
をふと思い出した。

№2 阿武隈川


№3 虚空蔵堂


№4 丑・寅


№5 案内板


№6 扁額


№7 胎内くぐり


№8 虚空蔵記


№9 十六羅漢像(1)


№10 十六羅漢像(2)


№11 十六羅漢像(3)


案内板には、「満願寺に伝わるこの虚空蔵堂は、弘仁2年(811)
に造られたといわれている」とあるが、虚空蔵堂の創建に係る記
録については、寺伝等は別として、虚空蔵堂棟札に墨書されてい
る「寛永11年」(1634)とある記録が最も古いとされている。

その記録に残る「現在のお堂」について、「福島市文化財調査報
告書」(昭和42年 福島市教育委員会)は、「当時の虚空蔵堂は、
定勝寄進の厨子を保管するに足るだけの・・・小規模のものでは
なかったろうか。そして寛政11年満願寺本堂造営と前後して、虚
空蔵堂も新らたに造営され」たのではなかろうかと想定している。

「寛政」と言えば、白河生まれの私は、定信公が行った寛政の改
をすぐに連想してしまう。その寛政の4年(1792)に満願寺の
方丈が竣工し、11年(1799)に虚空蔵堂が改修されているが、
同報告書は、改修後のお堂こそ現在のお堂ではないかと想定して
いる。寛永11年と寛政11年では、165年の隔たりがある。果たし
てどちらなのだろうか。

何れにしろ、社寺仏閣の創建年代や史跡の場所を特定することは、
とても困難なことだとつくづく思った。

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  1. 2016/08/07(日) 10:46:51|
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如意輪観音堂

H28.4.9(土) その6  1 2 3 4 5 6 7 8


虚空蔵堂に続く道を進むと、右手に観音堂(如意輪堂)がある。

 観音堂(如意輪堂)

DSCN0432 観音堂

黒岩満願寺展図録には、次のように記されている(p.13)。

  堂は宝永7年(1710)の建立で宝形造りである。古い満願寺
 境内絵図には観音堂は南面して建られて描かれている。現在は東
 面になり如意輪堂とも呼ばれている。

     
  黒岩虚空蔵堂および満願寺境内絵図
   (小倉寺白山道 加藤夢之助蔵) - 黒岩満願寺展図録(p.7)
年不詳、黒岩虚空蔵堂および満願寺境内絵図
     

DSCN0433 観音堂

「福島市の文化財 福島市文化財調査報告書第5集」(昭和42年 福島
市教育委員会)は、次のように記述している(p.24)。
  
  この観音堂は米沢藩主上杉定勝の四女於(お)サン、即ち吉良
 上野介義央
の室となった梅嶺院殿が寄進した持仏の観音像安置の
 ために建立されたものである。
  本尊は像高17㎝ほどの木造如意輪観音で、六角の框座の上に
 座している。如何にも夫人の持仏らしく、框座の各面に梅の文様
 が施こされており、光背には小さな三十三観音が浮彫りされてい
 る。
  お像は黒塗り(漆)の厨子(高さ53㎝正面幅27㎝)に納めら
 れており、厨子の内壁には、鳳凰と飛雲が上部に、下部には蓮花
 が金泥で繊細に描かれている。


    DSCN0435 観音堂

如意輪堂にかけられた案内板には、次のようにあった。

 如意輪堂 
 本堂は江戸時代宝暦年間の建立にして二百余年を経る 当本尊は
 吉良上野介内室梅嶺院(俗名サン)の朝夕礼拝念持せし吉良家の
 家宝如意輪観世音菩薩で元禄時代の代表的彫刻による御尊像で
 ある。当寺は米澤上杉公と関係深く他に吉良上野介室の枕屏風・
 打掛等保存しあり。
                  当山住持


 木造如意輪観音像 - 同報告書 p.24 -

   如意輪観音


観音堂の前に案内板が立っている。いくつか気になる表記があった。

観音堂

① 「元禄年間(1688~1703)に建てられたといわれて」とあるが、
  黒岩虚空蔵展図録の「如意輪観音堂棟札」についての次の説明
  (p.13)のとおり、「宝永7年(1710)」と解すべきだろう。

    吉良上野介夫人念持仏安置の観音堂棟札で、両面に墨書
   銘がある。表は長文の銘文で、これによると、第5世月峯
   (後に霊嶽)によって、宝永7年10月(1710)に建立さ
   れた堂であることがわかる。


② 「大石内蔵助の敵となった、吉良上野介」とあるが、赤穂浪士の
  「敵」は、吉良上野介義央ではなく、浅野内匠頭長矩に即日切腹
  を命じた幕府でなければ筋が通らないと思うが、どうだろうか。
  菊池寛『吉良上野の立場』(昭和6年)は、次の言葉で終わって
  いる。

   ・ 何が卑怯か、わしには正しい言い分があるぞ!
   ・ 大石にも、不当に殺される者の怒りが分からんのか


③ 「吉良家にとついで梅嶺院と呼ばれ」とあるが、「おサン」は吉良
  家に嫁いだ後「富子」と改名しており、「梅嶺院」と号したのは上
  野介の死去(元禄15年(1702)12月)後、落飾してからである。

④ 「如意輪観音をここに寄進されたという」とあるが、その時期は、
  梅嶺院の生存中なのか没後なのか、いつのことだったのだろう。

梅嶺院の兄は、米沢藩第3代藩主の上杉綱勝。寛文4年(1664)に嗣子
の無いまま急死したので、本来ならば米沢藩は廃絶となるところ、上野
介の嫡男三之助(後の第4代藩主上杉綱憲)が末期養子として認められ
て存続できた。吉良家では、嫡男とした次男の三郎が夭折し、他に男子
がなかったことから、元禄2年(1690)に、綱憲の次男の春千代を養子
として迎えた。後の吉良左兵衛義周である。

その義周は、赤穂事件の翌年に、「その夜のはからひよからず」とされ、
改易のうえ信濃諏訪藩(高島藩)の第4代藩主諏訪安芸守忠虎にお預け
となり、高島城に幽閉された。

梅嶺院は、綱憲の死(宝永元年(1704))の2か月後に、上杉家下屋敷
で死去している。

梅嶺院のお墓は、母親の生善院(米沢藩第2代藩主上杉定勝の側室。宝永
3年歿)が中興開基したとされる、広尾2丁目にある東北寺にあり、生善
院のお墓と並んでいるとのこと。

米沢の法泉寺にも梅嶺院のお墓がある。この寺は、姉の亀姫(定勝の三
女。大聖寺藩の第2代藩主前田利明の正妻。寛文4年(1664)歿。)の
法名(法泉院殿。「当寺の中興」。)をとって、元禄3年(1690)に、
禅林から法泉と寺名が改められた。こちらは、姉妹のお墓が並んでいる
そうだ。

鈴木由紀子『義にあらず』は、梅嶺院と姉の松嶺院(定勝の長女・徳姫。
大聖寺藩の初代藩主前田利治の正妻。貞亨2年(1685)歿)が語り合う
場面を描いている(p.136)。

  「ここにくるとなにもかも忘れて心が落ち着きます」
   松嶺尼はだまって富子の話を聞いていた。
  「衆生済度を願って御仏に仕えているお姉さまが、時折うら
  やましく思えてなりませぬ。わたくしなど煩悩にふりまわさ
  れて日々すごしております」
   いっさいのしがらみからとき放たれて、姉のように仏道に
  帰依できたら、平安な心で生きられるような気がした。


梅嶺院は、波乱に満ちた人生の中で、如意輪観音像を前に、日々何を
念じ続けてきたのだろうか。その思念(おもい)を知ろうと、本を読
んだり、ネットで調べたりしてきたが、おぼろげながらも知るほどに、
どうしようもなく切ない思いに駆られてしまう。

義周は宝永3年(1706)、配流先で死去した。

平成20年(2008)に諏訪へ旅行した際に、最初に訪ねたのが法華寺で
あり、その裏山にある義周の墓だった。名門吉良家断絶の壮絶さに、
何とも遣り切れない思いに襲われたのを、今もはっきりと覚えている。

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  1. 2016/07/25(月) 05:35:43|
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黒巌山満願寺

H28.4.9(土) その5  1 2 3 4 5 6 7 8

旧参道の石段をの上りきった正面に、立派な山門が構えていた。

 山門の扁額

山門

「黒岩満願寺展」(福島県文化センター 昭和54年10月20日~12月5日 )
図録には、次のように記されている(p.11)。

 ・ 山門の扁額「黑巌山」は黄檗五世高泉の書
 ・ 満願寺の本堂は棟札によると寛政4年(1792)に建築
 ・ 山門は宝暦八年(1758)の建築で四脚単層の重厚な門

黄檗五世高泉は、元禄5年(1692)に黄檗宗萬福寺の第5代住持となった
高泉性敦(こうせんしょうとん)のこと。明からの帰化僧で、寛文元年(1661)
に来日し、元禄8年(1695)に没している。

高泉和尚は、寛文5年(1665)に二本松藩主丹羽光重が創建した法雲院
(珊瑚寺)の住持(開山)として招請された。

高校時代の同級生である藤田君は、和尚が二本松に居た期間は短かっ
たが、この間に満願寺との交わりが深まったのだろうとして、次のように
記している。

 同寺には、高泉の書になる寛文年間の鐘銘下書や、山門扁額の
 下書があるが、これらは二本松存居時代の高泉に請うて得たもの
 であろう。

  - 藤田定興『福島県の黄檗宗寺院』(文化福島 1981/1月号)

山門を入るとすぐに、案内板が立っている。

 「黒岩虚空蔵および満願寺」案内板

IMGP0328

黒岩満願寺展の図録の「黒岩満願寺の由緒と資料展の概要」
においては、次のように記している(p.1)。

  満願寺の歴史は、これまでのところ江戸時代の初期までは遡れ
 明らかである。慶長三年(1598)上杉景勝が越後春日山から会津
 若松に移って120万石を領し、信達両郡もその支配下におかれる
 が、この頃より、上杉氏と深いかかわりをもつようになり、満願寺
 隆盛の時代をむかえる。
  ・・・
  満願寺が臨済宗となるのも、上杉氏の強い要請によるものとおも
 われるが、つい最近まで満願寺は、山形県米沢市御守町(旧二の
 丸)にある臨済宗法泉寺の末寺であった。この法泉寺の前身は禅
 林寺と称し、上杉景勝の命によって、直江兼続が普請奉行となって、
 城の北部(二の丸)白子明神の西方に創建したといわれ、満願寺と
 もゆかりの深い九山和尚(寛永13年11月遷化)の開山である。
  ・・・
 元祿4年(1691)藩主上杉定勝の息女亀姫の法号法泉院に因んで
 法泉寺と改称されたが、同寺に伝わる元和4年(1618)事蹟帳によ
 ると、同年11月25日旧信夫臨済宗の全寺院が挙げて禅林寺に登
 山してその末寺となったとあり、満願寺もこのころすでに臨済宗で
 あったことが知られる。


藤田君は、九山宗用(きゅうざんそうそう)について次のように記している。

 九山は、この禅林寺住職の傍ら多くの門弟を擁し(その法系は
 信達地方の妙心寺派寺院に広がる)、一時京都妙心寺に再入し
 て第百十五世の職にもついた。そして晩年は、福島市土湯の興
 徳寺に隠居しこの地に歿したといい、(享保二年興徳寺鐘銘)墓
 碑とする無銘の無縫 塔がある。

  - 藤田定興『米沢法泉寺開山九山宗用について』
              (文化福島 1980/11月号)


案内板を後にして、旧大蔵寺門前の古碑の前に、しばらく立つ。

 旧大蔵寺門前の古碑

IMGP0331

 小倉寺大蔵寺は住古、阿武隈川の西にありと伝えられ、
 旧大蔵村方郎内(現、田部屋)の寺跡に残っていた但一基の古碑
 碑文「昨日雨今日伏拝□□□・・・・・・


古碑の先に、国が認定した重要美術品の「銅鐘」がある。

 国認定重要美術品「銅鐘」

IMGP0405

 銘文によると、寛文年間、第2世西堂の時鋳造され、その後延宝
 4年(1676)と元祿10年に修理されていることがわかる。

  (黒岩満願寺展図録 p.14)

IMGP0403

「福島市の文化財 福島市文化財調査報告書第5集」(昭和42年 福島市教育
委員会)には、次のように記されている(p.21)。

 寺伝によれば、当寺には古来いぼなしの鐘とよばれる鐘が
 あったが、これが大破した後をうけて、寛文年間(1661~
 73)にそれを模して鋳造したのがこの銅鐘であるという。


梵鐘の表面上方は、通常はイボ状の突起(乳(ち))が並び(多くは煩悩
の数と同数の108個とか)、「乳の間(ちのま)と呼ばれる。

満願寺の銅鐘には、この部分に飛雲と天女の姿が彫られていて、イボ
状の突起がない。

IMGP0403 天女



白河生まれの私にとって、満願寺といえば関山の満願寺が浮かんでくる。
丹羽公といえば白河小峰城とすぐに結びつく。関山の頂上にある銅鐘も、
黒岩の満願寺の銅鐘も、ともに昭和19年に、国の重要美術品としての認
定を受けた。

この寺は、懐かしい故郷の思い出を、何故か呼び覚ましてくれる。

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  1. 2016/06/29(水) 05:51:04|
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柔らかいもの

H28.1.31(日)

加島祥造さんは、たくさんの顔を持っている。「詩人の」と
単純に言ってしまいがちだが、詩作活動だけではなく、英米
文学者、翻訳家、随筆家、タオイスト、墨彩画家として、幅
広い創作活動や執筆活動をされた方だ。

早稲田大学文学部を卒業してから、信州大学、横浜国立大学、
青山学院女子短大で英米文学を教えていた。40歳代に東洋の
思想に関心が向かい、60を過ぎたころアーサー・ウェイリー
の英訳『老子道徳経』と出会って、「こんなおもしろいこと
を言っている人がいたのかと夢中になった」そうだ。

1966年(昭和41年)から信州の伊那谷に通い始め、1995年
平成7年)には、横浜から、中央アルプスと南アルプスに抱
かれた中沢という山里に移り住んだ。

 夕すげの庵と名づけ住みくらす夢より覚めて秋雨を聞く
                    加島 祥造

小高い丘の上にある山荘「晩晴館」には、「生涯で最初に心
を打たれた草花」のユウスゲ《夕菅》が咲くとか。そこで、
画を描き、詩を読み、本を紐解く・・そのような静かな暮ら
しの中から、多くの作品が生まれた。

今度は、老子に関する本を読んでみようと 思った。



加島祥造著『わたしが人生について語るなら』から

 - 第3章 命を通して人間を見る -

  自分という中心にかえる(抄)(p.132~)

   ・・・
  『老子』のなかに、こんな部分があるよ。

   君はどっちが大切かね──
   地位や評判かね、
   それとも自分の身体かね?
   収入や財産を守るためには
   自分の身体をこわしてもかまわないかね?
    
   何かを取るのが得で
   何かを失うのが損か、本当に
   よく考えたことがあるかね?

   名声やお金にこだわりすぎたら
   もっとずっと大切なものを失う。
   物を無理して蓄(た)め込んだりしたら、
   とても大きなものを亡くすんだよ。

    (『タオー老子』(ちくま文庫)「第四四章 もっとずっと大切なもの」より)


  やさしく柔らかいものほど強い(抄)(p.135~)

    老子はまた、こうも言う。ほんとうに強いものは、柔らかい。なぜなら、
   固いものは、強く見えても、もろいのだ。柔らかいものは、弱いようでも、
   しなやかだ。水や空気と同じように薄いすき間にだって入り込んで働き、
   岩のような固いものを粉々にする。そういう働きは静かで目立たず、人々
   になかなか気づかれない。
    老子は柔らかいものを大切にする。なぜなら柔らかさが、命の働きに沿っ
   た性質だからだ。生まれたばかりの赤ちゃんは柔らかい。動物も植物も、
   生きているものというのはしなやかで柔らかい。死ぬと乾いて、固くなる。
    私たちは普通、強い人をほめる。強い人にあこがれる。でも老子は、柔
   らかさ、やさしさ、繊細さというものがもっとも大切だと言う。このよう
   な指摘をした人は、歴史上でもあんまりいない。なぜなら社会はいつも競
   争するからだ。
    でも、以前、こんな光景を見たよ。
    ・・・
    命がどういうものか、子どもたちがいちばんよくわかっている。「やさ
   しい」ということの価値を知っている。やさしくて柔らかい、母のような
   存在を求めている。ただ、おとなたちが、「もっと勉強しろ、もっと強く
   なれ、もっと、もっと・・・」とお尻をたたく。お尻をたたくだけでなく、
   「そんなことではダメ人間になる」とか「強くならないと社会で生きてい
   けない」などと恐怖を与えて自分の思い通りにさせようとする。でも、
   繰り返し言うが、命という大きなものにつながって、やさしくて弱い自
   分でいれば大丈夫なんだ。
    私の家の窓からは、日本アルプスの高い山々がよく見える。下から眺め
   る山は、驚くほど細かいところまで、じつにくっきりしている。何千メー
   トルも離れているはずなのに、雪の積もり具合や、岩のごつごつした具合、
   木々の葉が風に揺れる様子までが見える。ところが山に登って下を見下ろ
   すと、全体的な景色の広がりが見えるだけで、細かいところはちっとも見
   えない。
    どうやら低いところにいたほうが、ものごとはよく見えるらしい。人は
   よく見たいと思うと高いところに登りたがるが、実際は低いところから見
   上げたほうがよく見える。英語で「理解すること」をunderstandという。
   under というのは「下に」という意味、 stand は「立つ」だ。下に立つ
   ということが、「わかる」ということなんだ。
    だから、安心して低いところにいたらいい。いちばん後ろから行く自分、
   ダメな自分、弱い自分でいたらいい。そうしたら、いつか自分の中のもっ
   ともいい部分を見つけて、育ててゆくことができる。 


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  1. 2016/01/31(日) 22:18:45|
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だめなときは

H28.1.22(金)

加島祥造さんは、1923年(大正12年)の生まれ。早稲田大学
に通っていた22歳のとき、軍隊に召集された。千葉県の訓練
所に配属され、「新米兵士として毎日訓練を受けたり、土を運
んだり、木を切ったりする作業をやらされていた」。

軍隊生活は、「命令を聞くことだけが大切で、自由などひとか
けらもない」。「つらい生活から逃れたい、でも逃れられない
という絶望的な状況」の中で、「もしこの軍隊から逃げ出すこ
とができたら、どこか田舎へ行き、静かに暮らしたい」との激
しい思いが突然に湧いてきたそうだ。

「腕の一本でも切り落とせばここから逃げられる、そうするし
かない」と思い詰め、大きな鋸の歯のついた機械に自分の腕を
突っこんだというのだから、これまた凄まじい。

そんな過酷な戦争体験のもとで、『わたしが人生について語る
なら』(2011年 ポプラ社)
の第2章にある、「だめなときは、
逃げればいい」という考えが生まれたそうだ。

この本は、児童向けに刊行された『未来のおとなへ語る(8)
わたしが人生について語るなら』(2010年 ポプラ社)
を内容
はほとんどそのままに、年長者向けに編集し直した作品。

「だめなときは、逃げればいい」という考えを、子供に対して
も、また大人に対しても語ることは、とても勇気のいることだ
と思う。この言葉を最初に目にしたときは、一寸違和感を覚え
たが、2度、3度と読み返すうちに、その違和感も消え、今は、
こころに素直に沁み込んでいる。



加島祥造著『わたしが人生について語るなら』から(p.84~)

 - 第2章 好きなことが生きるエネルギーを生む -

  だめなときは、いったん逃げればいい(抄)

  そのほかに、自分の人生から、他の人の役に立つようなことを私が言え
 るとすれば、それは、「逃げる」ということかもしれないな。いやなこと
 からはいったん逃げてみるということだ。
  好きなことばっかりやってきたと言ったが、私もずっと順調だったわけ
 ではない。人生が行き詰まったように感じたり、うまくいかず困ったとき
 もある。でもすっかりあきらめて投げやりになってしまうことはなかった。
 こっちをつつき、あっちを嗅ぎまわり、抜け出せる道はないかと探って
 いった。そのうちに思いがけないルートを発見することもあるし、「うま
 くいくかどうか、ちょっと試してみよう」と、おそるおそる進んでいくこ
 ともある。前に行っているのか、後ろに行っているのかわからなくても、
 とりあえず行けるほうへ行ってみたんだ。
  行き詰まったら横道へそれて、また行き詰まったらまたそれて・・・と、
 ジグザグに進んできた。それが私の人生の進み方だった。だから、そうい
 う進み方で大丈夫だ、ということが経験としてわかるのだ。正々堂々と正
 面から困難に立ち向かったり、じっと堪え忍ぶことが大切だと言う人もい
 る。でも、それ以外の方法もあるよ、と私は言いたい。気楽な気持ちで違
 う方向を探し、いろいろな方向からつついてみればいい。あるいは、さっ
 とよけてみる。あるいは知らん顔して通り過ぎる。そういう「ごまかし
 かた」が役に立つ場合もある。
  私がこう考えるのには、若いころのある経験がもとになっている。それ
 は、私にとって、ほとんど唯一の暗い記憶と言える。軍隊時代のことだ。
 ・・・
  すっかり絶望的な気持ちで毎日を過ごしていたのだが、五か月後のある
 日、戦争が終わった。それは、あまりにもあっけなくて拍子抜けするよう
 な結末だった。自分の体を傷つけてでも何とか檻を壊して抜け出そうと必
 死でもがいていたのが、どこからか手が伸びてきて檻の鍵を開けてくれて、
 開け放たれた扉からするっと外の世界に出ることができたのだ。
  こんな体験から私は何を学んだか。それはね、人間がいくらじたばたし
 てもダメなときはダメなんだ、ということさ。でも、生きてじたばたして
 いれば、いつかは道が開けてくるものだ、ということも知った。戦争のまっ
 ただなかにいるときは、いつか戦争が終わるなど想像もできないことだっ
 た。私ばかりではない。誰も想像できなかったに違いない。でも誰も予想
 しなかったことが現実になり、世の中は根底からひっくり返った。あんな
 に願っても手に入れられなかった自由が、天から降ってきた。
  今だって、これから先、こういう大きな転換が起こらないと誰が言える
 だろうか。先のことなんてわからない。どの方法がいいかなんてこともわ
 からない。逃げたりごまかしたりしながら、でもあきらめないでいたら、
 大丈夫なのだと思う。社会も世の中も、そして自分もどんどん変わってい
 く。今ダメだったら次には良くなるかもしれないし、今良くても、次には
 ダメになるかもしれない。変わっていかないものなんてないんだ。
  だから、もし今つらい状況にあったとしても、絶望することはない。正
 面から立ち向かって解決するのもひとつの方法だが、頑張ってどうしよう
 もないとわかったら、あきらめてじっとしていればいい。変化っていうの
 は、思いがけないときに起こるものなのだ。 
 




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  1. 2016/01/23(土) 23:01:35|
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振り返って

H28.1.21(木)

詩人の加島祥造さんが、昨年暮れの25日に亡くなられた。
こころからご冥福をお祈りします。

加島さんの本は、「求めない」「わたしが人生について語る
なら」「受いれる」の3冊しか持っていない。その本のどれも
が、読み返すつど、肩の力が抜けて、こころが軽くなり、知
らないうちに元気を与えてくれるものばかり。

これからも、幾度となく本棚から取り出して読むことだろう。

 感謝を込めて ・・・ 合掌。



『わたしが人生について語るなら』(2011年 ポプラ社)から(p.67~)

   - 第1章 十代の私が八十代の私を助ける -

 楽しむことを大切にする(抄)

  振り返ってみて良かったと思えることは、自分の好きなことをやってこ
 れたということだ。こんなことを言うと、奇妙に思うだろうか。世間の人
 は、苦手を克服したり、じっと辛抱することが大切と言う。楽しいことば
 かりをしているとダメ人間になると思っている。でも、私が自分の人生を
 考えてみると正反対の結論になるんだ。よく遊び、好きなことをし、楽し
 むことが大切だと思える。
 「好きなこと」というのは、楽しいと思う遊びから勉強や仕事まで、すべ
 てを指す。青年期までは町や野山で遊んだこと、映画や音楽にたくさん触
 れたこと、友だちとグループを作って詩を書き合ったこと、中年からは釣
 りや碁を楽しんだり、おいしいものを食べたり、すぐれた女性とデートし
 たこと、全部だ。そしてそれらが私を助けてくれた。好きなことをやるこ
 とで力が湧いた。好きでやって覚えたこと、感じたこと、身についたこと
 が私を助けた。
  ・・・
  逆に考えると、将来役に立つだろうと計算して何かをやるのは、かえっ
 て損をすると言えるかもしれない。目標は達せられるかもしれないが、そ
 れが終わるとあとは役に立たない。ところが好きでやることは、次の場面
 でもたくさん応用できる。未来の目標を持ってやるのもいいけれど、目的
 意識だけに縛られると「好きでやる」という方向を見失ってしまう。好き
 でやることなら、その人に深くしみこんで、消えないんだ。好きなことを
 するのが大切だという第一のポイントは、ここにある。つまり、体が覚え
 る。
  ・・・
  好きなことをやるのが大切だという第二のポイントは、好きなことをし
 ていれば、次の「好きなこと」を見つける力が湧いてくるということだ。
 世間ではよく子どもや若い人に「自分の好きなことを見つけてそれに向
 かって進みなさい」と言う。しかし、私が言いたいのは、それとはちょっ
 と違う。どこが違うかというと、「自分の好きなことに向かって進む」と
 いうとき、それは将来のことを言っている。「好き」なことは遠くのほう
 にあって、そこへ向かって歩いていくための目標になってしまっている。
 でも本当の「好き」は、「今、このとき」の感情だ。「今」したいと思う
 ことを「今」する。それが「好きなことをする」ことの本来の姿だ。
  ・・・
  もうひとつ、大切なポイントがある。好きなことをするのが大切な第三
 の理由だ。それは、自分の好きなことをしていると、他の人のすることが
 気にならない。自分の好きなことをやって幸福な気持ちでいる人というも
 のは、他の人の幸福も許せるものなのだ。他の人のすることをうらやんだ
 りねたんだりしない。他人を押しのけたり、傷つけたりするような気持ち
 は起こらない。
  ・・・
  だから、自分が楽しい気持ちでいるのは、自分自身のためばかりではな
 く、まわりの人のためでもある。自分の好きなことをして人生を楽しむこ
 とが大切なのだ。楽しいことは、決して罪悪感を持つようなことではない。
 自分で自分を幸福な状態にしてあげることは、とても大切な、価値あるこ
 となんだ。ただし、自分の好きにすることで他の人たちを傷つける ──
 の面もあるからね。その人たちのことも考えた上でするべきだよ。
     




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  1. 2016/01/21(木) 13:17:34|
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天空の聖地

H27.12.30(水)

今年の2月のブログで、職場の仲間だった後藤勝雄さんの
遍路体験記『四国88ヵ所歩き遍路』を紹介させて頂いた。

今年の5月18日、後藤さんは、今度は、空海が切り開いた
という修行の道・祈りの道であり、高野山参詣の表参道で
ある「高野山町石道(こうやさんちょういしみち)」を通り、
高野山に登られた。慈尊院から壇上伽藍の大塔まで約22
kmの道のりを、約8時間で歩き切ったのだから、これまた
凄いことだ。

そして、前回と同様、今回もその貴重な体験を紀行文とし
て纏められた。

「高野山町石詣で」を追体験できる、貴重で得難い紀行文
なので、全文14ページを次のとおりアップさせてもらった。

是非ご一読されるよう、お薦めします。


 ※ 高野山町石道マップ - わかやま観光情報

 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
 (9) (10) (11) (12) (13) (14)



来年のNHK大河ドラマは、真田信繁(幸村)を主人公にした
「真田丸」。真田親子が蟄居生活を送った九度山や高野山に
は、真田家ゆかりのところが多い(「真田庵(善名称院)」、
蓮華定院」など)。

九度山町や上田市など、「真田丸」の舞台となったご当地が、
今、熱い!



白洲正子著『かくれ里』の「丹生都比売神社」を読み返しては、
幾つかの興味あることを教えられた。紀行文を頂いたお蔭だ。
感謝!

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  1. 2015/12/30(水) 23:13:44|
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翼をひろげて

H27.12.2(火)

今朝は、県内各地でこの冬一番の冷え込みとなり、福島市
では今シーズン初となった氷点下の0℃を観測したとか。

冷え込みが厳しくて、リハビリウォークを休もうと思った
が、天気もよくなりそうだったので、思い切って家を出た。

河川敷などには、霜が降りていた。昨朝は雲に隠れていた
安達太良が、今朝はスッキリと見えた。

H27.12.1 安達太良連峰


山々や青空を眺めていたが、寒さで手袋の中の指先が痛い。

H27.12.2 月


ハクチョウの鳴き声が賑やかになったので、そろそろ飛び立
つのではないかと待ったが、なかなか飛び立ちそうにもない。
諦めて自宅に戻ろうと文知摺橋の近くまで来たら、何と吾妻
や安達太良や信夫山を背にして、上空を舞い飛び始めた。

しまい込んだカメラを急いで取り出し、前に、左に、また右
にとカメラを動かし、シャッターを切り続けた。

 ハクチョウ《白鳥》  H27.12.2 7:20

H27.12.2 吾妻連峰


H27.12.2 安達太良連峰


H27.12.2 信夫山


親水公園には、10月下旬過ぎから越冬のためにシベリアな
どから飛来したとみられるオオハクチョウやコハクチョウが、
現在約50羽ほどいるとか。寒さが厳しくなるにつれて数を増
やし、例年1月には約200羽ほどになるそうだ。

そして、年があらたまり、春が来て暖かくなると、北帰行が
始まる。それまでに何度かは、翼を広げて空を舞う優美な姿
を、また見たいと思った。

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  1. 2015/12/02(水) 22:40:54|
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盛りだくさん

H27.11.22(日)

昨朝は、落葉を踏みしめながら歩きたいと思い、小鳥の森
のあぶくま口から、ネイチャーセンターへと抜けた。

 小鳥の森

151121 小鳥の森
 

151121 小鳥の森
 

151121 小鳥の森


圓満寺への途中に、紅葉している木が数本残っていて・・・

151121 小鳥の森


151121 小鳥の森


 圓満寺のイチョウ《銀杏》

151121 圓満寺


朝食後に朝撮りの写真を整理して、またカシャリ!

 ツツジ《躑躅》  今年も何度かお会いして

151121 ツツジ


 サザンカ《山茶花》(白)  今が盛り!

151121 サザンカ


今朝は、小鳥の森(あぶくま口)から三本木橋へ・・・

 カラスウリ《烏瓜》の実  かろうじて一つだけ

151122 カラスウリ


 ノブドウ《野葡萄》  仲良く並んで

151122 ノブドウ


 センニンソウ《仙人草》の果実  ひげが大分伸びて

151122 センニンソウ


三本木橋交差点から下がり、親水公園へ

 オニグルミ《鬼胡桃》の葉痕  あれ、どこかでお会いしたような・・・

151122 オニグルミ


今日は、「いい夫婦の日」とか。
昨日、今日の、盛りだくさんの楽しみ、喜びを肴にして、
かみさんはビール、私は日本酒で、いいお酒を飲んだ!

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  1. 2015/11/23(月) 18:18:20|
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記録的な大雨

H27.9.11(金)

9日から11日にかけて、関東地方及び東北地方で発生した
記録的な大雨は、台風第18号や前線の影響で、多数の線
状降水帯が次々と発生したことによるものとか。

 亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、
 被害を受けられた方々に心からお見舞い申し上げます。



雨も降っていなかったので、 5時半過ぎに家を出た。

 ヒガンバナ《彼岸花》  サイクリングロード沿いで

150911061 ヒガンバナ


 阿武隈川  水位が上昇し 親水公園も冠水 

150911088 阿武隈川


 小鳥の森:観察広場  激しい風雨で葉を落としていた

150911134 小鳥の森


150911142 小鳥の森


 ヤマボウシ《山法師》  落ちた実と残った実と

150911148 ヤマボウシ


150911151 ヤマボウシ


150911161 ヤマボウシ


落ちた実も、残った実も、何れも小鳥の力を借りて、この地
上に種を落してもらうことだろう。そして、いつかは、芽が出
て、花を開き、実を結ぶ、そんな日が必ずやってくる・・・。


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  1. 2015/09/23(水) 07:59:45|
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だからここらで

H27.9.9(水)

孫と一緒にテレビを見ていて、ハッと驚かされる番組に出会
うことがある。NHK:Eテレ(教育)の「フックブックロー」も、
そんな番組の一つ。

オープニング曲は、山川啓介の作詞、服部隆之の作曲によ
る「靑空しんこきゅう」で、画面に流れる次の歌詞を読む限り、
その内容は幼児や小さい子ども向けというより、むしろ大人
向けと言ってよい。

   靑空しんこきゅう

 はしっても
 あるいても
 地球の
 スピードは
 おなじです
 あせっても
 のんびりでも
 ちゃんと
 あしたは
 くるんです
 いそぐときほど くちぶえふこう
 かなしいときほどにっこりえがお
 フックブックロー
 しあわせはいつも
 うしろから
 フックブックロー
 おいついてくるよ
 だからここらで
 そよかぜを
 あおぞらを
 ちょっと深呼吸


この番組を見た後は、どうしてか、長田弘さんの「世界は一
冊の本
」や、深呼吸の必要」を引っ張り出したりしている。

今や、孫よりも私の方が、この番組を喜んで見ている。



このところ、「キッズワールド NHK Eテレ こどもポータル」の
番組に釘付けになりっ放し。孫との楽しい時間の合間・・・?
に、デジブックを一つ、作り終えた。 「だからここらで・・・」

 DB:立ちどまり

  


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  1. 2015/09/18(金) 23:57:23|
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開戦と終戦と

H27.8.15(土)

8月15日(土)は、終戦の日。

 ※ 正午 黙祷

  終戦以来既に70年,戦争による荒廃からの復興,
  発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,
  平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,
  我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。
   ・・・
  ここに過去を顧み,さきの大戦に対する深い反省
  と共に,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬこ
  とを切に願い・・・」


天皇陛下のお言葉が、こころに響いた。



8月1日は、3日間にわたって開催される「長岡まつり」の
前夜祭。70年前の長岡空襲の時刻にあわせて、「慰霊
の花火」が打ち上げられた。

 慰霊の花火「白菊」 (長岡市広報課提供)
      ー H27.8.1(土) 午後10時30分 -  

    150801000 長岡花火:白菊

 「空襲で亡くなられた方々への慰霊、復興に尽力した
 先人への感謝、恒久平和への願いを込めて、白一色
 の尺玉3発を打ち上げるとともに、市内寺院の協力を
 得て同時刻に慰霊の鐘を鳴らします。」
     - 「長岡まつりに想いを込めて」から -

  ──世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、
 世界から戦争が無くなるのにな、とは貼絵『長岡の
 花火』の作者・山下清画伯の言葉。 その心根を共
 有するシベリヤ抑留体験者でもある長岡の伝説の
 花火師・嘉瀬誠次さんは、ゆっくりしんなり咲いて
 散る花火が、心に残って好きだと仰しゃる。
 

     - 「大林宣彦氏からの手紙」から -

8日に開催された「ふくしま花火大会」当日は、日中から
アルコール専科で、撮影は無理だと思っていたが ・・・

 ふくしま花火大会  H27.8.8(土) 自宅玄関前から

150808836 花火大会


1508081035


1508081335 花火大会


次は、何と戦艦ミズーリ艦上からの長岡花火。驚きだ!

 真珠湾に打ち上がる長岡花火  H27.8.15 真珠湾フォード島
     (「戦艦ミズーリ記念館」 - タイムラインの写真から)

戦艦ミズーリ艦上から

降伏文書調印式が行われた戦艦ミズーリは、1999年、
パールハーバー内フォード島に「戦艦ミズーリ記念館」
としてオープンしている。すぐ横には、真珠湾攻撃で撃
沈された戦艦アリゾナの真上に建設(1962年)されてい
る「アリゾナ記念館」がある。

長岡出身の連合艦隊司令長官山本五十六の指揮で真
珠湾に攻撃を受けたホノルル市。終戦直前に空襲を受
けた長岡市。両市は、開戦に反対していた山本五十六
の縁で、3年前に姉妹都市となっている。

8月24日(月)にNHKが放送した、特集まるごと「真珠湾
に日本の花火 託された思い
」の終わりの方で、真珠湾
攻撃を体験した 元アメリカ海軍のアルフレッド・ロドリゲ
スさん(95)が、次のように語っておられた。

  「長岡のみなさんありがとう。本当に感謝している。
  (平和が)永遠に続くことを願っている。」


その言葉に救われるような思いがして、胸が熱くなった。

  米兵の遺族も悲し終戦日 - 「平和の俳句」から -

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  1. 2015/08/28(金) 15:32:44|
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花と花火と

H27.8.13(木)

今日は盆の入り。体調の状況をみながら、近いうちに
花と線香を持ち、白河にお墓参りに行きたいと思った。

150801475 ギボウシ1508081120 花火大会

年が明けての正月半ばに、同期のAさんが亡くなった。
その五日前、電話で、「去年は一緒に飲めなかったが、
今年は飲もうね」と、お互いに話していたばかりだった。

そして3月には同期のSさんも亡くなり、7月には大先輩
たちも旅立たれた。 心からご冥福をお祈りしたい。

 死ではなく、その人が
 じぶんのなかにのこしていった
 たしかな記憶を、わたしは信じる。


長田弘さんの詩の一節を、声を出して読んだ ・・・ 合掌。



   - 長田弘『詩ふたつ』
        花を持って、会いにゆく
        人生は森の中の一日
             クレヨンハウス 2010年5月 -

    「花を持って、会いにゆく」

 春の日、あなたに会いにゆく。
 あなたは、なくなった人である。
 どこにもいない人である。

 どこにもいない人に会いにゆく。
 きれいな水と、
 きれいな花を、手に持って。

 どこにもいない?
 違うと、なくなった人はいう。
 どこにもいないのではない。

 どこにもゆかないのだ。
 いつも、ここにいる。
 歩くことは、しなくなった。

 歩くことをやめて、
 はじめて知ったことがある。
 歩くことは、ここではないどこかへ、

 遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
 どんどんゆくことだと、そう思っていた。
 そうではないということに気づいたのは、

 死んでからだった。もう、
 どこにもゆかないし、
 どんな遠くへもゆくことはない。

 そうと知ったときに、
 じぶんの、いま、いる、
 ここが、じぶんのゆきついた、

 いちばん遠い場所であることに気づいた。
 この世からいちばん遠い場所が、
 ほんとうは、この世に、

 いちばん近い場所だということに。
 生きるとは、年をとるということだ。
 死んだら、年をとらないのだ。

 十歳で死んだ
 人生で最初の友人は、
 いまでも十歳のままだ。

 病に苦しんで
 なくなった母は、
 死んで、また元気になった。

 死ではなく、その人が
 じぶんのなかにのこしていった
 たしかな記憶を、わたしは信じる。

 ことばって、何だと思う?
 けっしてことばにできない思いが、
 ここにあると指さすのが、ことばだ。

 話すこともなかった人とだって、
 語らうことができると知ったのも、
 死んでからだった。

 春の木々の
 枝々が競いあって、
 霞む空をつかもうとしている。

 春の日、あなたに会いにゆく。
 きれいな水と、
 きれいな花を、手に持って。


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  1. 2015/08/22(土) 19:14:47|
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