独りよがりのつぶやき

花の写真を中心とした 気ままなブログです

千本釈迦堂

H28.8.16(月) その7  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

高台寺を出たバスの中で、初めて千本釈迦堂を訪ねたときのことを
思い出した。開通したばかりの東海道新幹線を利用して京都を訪ね
た折に、「安貞元年(1227)建立の千本釈迦堂本堂は、応仁の乱
どの幾多の戦火を免れている、今も当時のまま残る京洛最古の木造
建造物だ、広隆寺東寺よりも古い」と聞いて、大変驚いたものだ。

 大報恩寺本堂(千本釈迦堂)(国宝) とても優雅で美しい 

大報恩寺 本堂
   -千本釈迦堂大報恩寺 > 大報恩寺(千本釈迦堂)について-


因みに、広隆寺桂宮院本堂は建長3年(1251)頃の建立、東寺の金
堂は慶長8年(1603)の再建とされている(東寺最古の建造物とさ
れる宝蔵は平安後期の作とか)。

大報恩寺

ご本尊の釈迦如来坐像は、快慶の一番弟子とされる行快の作品。
普段は秘仏として公開されないが、次の特定の日は開帳される。

  ・ 正月三が日(1月1日~3日)
  ・ 節分会(おかめ福節分)(2月3日)
  ・ 千本釈迦念仏(遺教経会)(3月22日)
  ・ 六道参り(精霊迎え(8月8日~12日) 精霊送り(16日))
  ・ 成道会と大根焚き(12月7日~8日)


 木造釈迦如来坐像〈行快作/(本堂安置)〉

   木造釈迦如来坐像
   -「千本釈迦堂 大報恩寺の美術と歴史」(2008)-


   木造釈迦如来坐像(行快作)
   -小学館「日本美術全集7 運慶・快慶と中世寺院」-

やや吊り上がった目がそう思わせるのだろうか、これまでにお会い
した釈迦如来像のお顔とは大分違う。突き刺すような目には緊迫感
があり、おもわず緊張して背筋が伸びてしまう。

霊宝殿には、重文の十大弟子像や六観音像、銅造釈迦誕生仏に千手
観音像などが安置されているが、如意輪観音像は文化庁主催のイタ
リア(ローマ)での「日本仏像展」に出展されていてお会いできな
かった。

 木造十大弟子立像 -千本釈迦堂 大報恩寺(「重要文化財編」)

十大弟子像

目犍連(もっけんれん)像の足ほぞ及び優婆離(うばり)像の像内には
「巧匠法眼快慶」の銘があり、承久2年(1220)の作とか。師であ
る快慶が弟子像を、弟子である行快が釈迦像を造った背景は何なの
か、気になるところだ。


 木造六観音菩薩像 -千本釈迦堂 大報恩寺(「重要文化財編」)

六観音像(重文)

准胝(じゅんでい)観音像内には、「造仏師肥後別当定慶」の銘があり、
貞応3年(1224)の作とされている。六道信仰に基づいて作られた
仏像で「六道参り」が行われる。

昨日は終戦記念日。今日は精霊送りの日。送り鐘をついてご先祖の
精霊を供養するという、初めての体験をさせていただいた。そして
今夜は「五山送り火」。お精霊(しょらい)さんの霊が無事にあの世
へ送り届けられますようにと願った。

本堂左横の「ぼけ封じ観音像」の前に集まって、「一番お願いしな
ければならない観音さまだね」と話し合っては盛り上がった。

全体の拝観時間が短く、おかめ塚や不動明王堂、北野経王堂願成就
寺をゆっくり見ることなく、慌ただしくホテルへと向かった。

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  1. 2016/11/11(金) 07:52:37|
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十一面観音像

H28.8.16(月) その5  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

ホテルを9時に発ち、京・田辺の観音寺に直行した。
バスの中でのガイドさんの説明(木津川、同志社大学田辺キャンパス、
観音寺 etc.)を聞いたり、車窓の外を眺めたりしているうちに、あっ
という間に50分近くが経ってしまった。

京都の今日の最高気温は、35℃の予想。京都でも最も暑いと言われて
いるここ田辺地区の気温は、それを上回るのではないかと説明された。

バスを降りたらさすがに暑かったが、目に入った風景は何とものどか
で心地よく、懐かしい原風景に出会ったような気がした。一瞬暑さを
忘れた。
 
観音寺の十一面観音立像を知ったのは、白洲正子『十一面観音巡礼』
による。以来、何時お会いできるのだろうかと思っていたが、間もな
くだ。はやる気持ちを抑え、本堂へとつづく参道をゆっくりと歩いた。

 観音寺(大御堂)
   - 「南山城の古寺」(飛鳥園発行 文・山崎しげ子) p.6

大御堂観音寺


 スイレン《水連》 - 本堂前の池 -

スイレン


 地祇神社(ちぎじんじゃ) - 本堂左側(北西)に隣接 -

地祇神社


 大御堂観音寺(おおみどうかんのんじ)本堂 - 昭和28年再建とか -

観音寺本堂


 十一面観音菩薩立像
   - 「南山城の古寺」(飛鳥園発行 文・山崎しげ子) p.7~8

十一面観音菩薩立像(1)


十一面観音菩薩立像(2)


豊かな胸をした、しっとりとした感じのお姿で、サラッと立っておら
れる。これまでにお会いした国宝の十一面観音像の美しさとはまた異
なる、美しいお姿だ。次は、菜の花や桜の季節にお目にかかりたいと
思った。
 
かみさんが、「国宝の十一面観音さんは7体あるのね」といった。
二人で指を折りながら、室生寺、渡岸寺、法華寺、聖林寺、そしてこ
こ観音寺と数えたが、あと二つがどうしても思い浮かばない。かみさ
んが説明書を見て「道明寺と六波羅蜜寺よ」と教えてくれた。お会い
したいものだ。

昨日の17,000歩超という強行軍にもかかわらず、身体の痛みもさほ
どなく、ツアー二日目も快適で順調な滑り出しだった。体調が良くな
ると元気が出て、あれもしたい、これもしたいと、ささやかな欲も生
まれてくる。

が、無理をしないで、それなりに、「あせらずに、ゆっくりと歩いて
みることに しよう。」

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  1. 2016/10/09(日) 16:58:07|
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南大門仁王像

H28.8.15(日) その4  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12


ライトアップされている仁王さんを、はじめて観た。

160815 金剛力士像(阿形)160815 金剛力士像(吽形)

国宝、東大寺南大門「木造金剛力士立像」。
鎌倉時代(建仁3年(1203))。寄木造。像高阿形836.3㎝、吽形842.3㎝

暗闇の中に浮かび上がる、鬼気迫る形相に圧倒されて、身がすくんだ。
阿形像の、何と厳しく、そして激しい怒りに満ちた表情なのだろうか。
そして吽形像の、すべてを押しとどめ、仏敵の侵入を一歩たりとも許そ
うとしない、内に秘めた揺るぎない強固な意志の力。

これまでに観た日中の白っぱしい印象 -それでもすごいのだが- とは
まったく異なり、照明の効果によって像容がより鮮明にあらわれた姿を
目の当たりにして、そのすさまじさにあらためて驚いた。

南大門の仁王像といえば即運慶作と連想しがちだが、この一対の仁王像
の造立には、昭和63年(1988)から平成5年(1993)にかけて行われ
た全面解体修理によって、運慶・快慶・定覚・湛慶の4人が関わったこ
とが確認されている。

「東大寺の仏像 -Wikipedia」では、「銘記を素直に解釈し、阿形像は
運慶と快慶が、吽形像は定覚と湛慶がそれぞれ担当したという見方もあ
るが、運慶が仁王像制作全体の総指揮を取ったとする見方が有力である」
と記している。

何れにしても、力強く逞しい姿の阿形・吽形の両像は、運慶を惣大仏師
として造られたもの。 やはり凄い。

  「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄は
   ただ仁王と我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と
   云って賞め出した。
 - 夏目漱石『夢十夜』:第六夜 - 


「日本の彫刻」(鎌倉時代)は、円成寺の大日如来坐像に次いで、藤本
四八
撮影の作品3点を載せている。 

 金剛力士像(阿形) - 藤本四八 撮影 -
    「日本の彫刻 上古-鎌倉」(1960 美術出版社)

   金剛力士像(阿形)-藤本四八


 金剛力士像(吽形) - 藤本四八 撮影 -
    「日本の彫刻 上古-鎌倉」(1960 美術出版社)

   金剛力士像(吽形)-藤本四八


   金剛力士像(吽形・部分)-藤本四八

      【解説久野 健】 【観賞北川 桃雄


ライトアップされた阿形・吽形の両像を前にして、CGで復元された
金剛神立像
の姿が、一瞬、思い浮かんだ。 金剛力士(仁王)は、金剛
(こんごうしょ)を執って仏法を守護する、執金剛神を本身とするとか。

いよいよ、明日は京都。観音寺の十一面観音立像や千本釈迦堂の釈迦如
来坐像に初めてお会いできる。嬉しくてたまらない。


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  1. 2016/10/02(日) 18:09:13|
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大日如来坐像

H28.8.15(日) その2 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12

円成寺の大日如来坐像を知ったのは、「日本の彫刻」(鎌倉時代)に
収められた藤本四八撮影の写真によってだった。大日如来は、静けさ
のなかに揺るぎない意志力を以て座していた。その張りのある、力漲
る相貌に圧倒されてしまったことを、今でもはっきりと覚えている。
それが今回の旅行で、ようやく直に、それも至近距離でお会いするこ
とができた。殆んど閉じているような、玉眼が入った切れ長の細い目。
その慈愛と厳しさをたたえた深い眼差しの表情に、こころを奪われた。


 大日如来坐像 - 藤本四八 撮影 -
    「日本の彫刻 上古-鎌倉」(1960 美術出版社)

   円成寺:大日如来坐像(1)


   円成寺:大日如来坐像(2)


   円成寺:大日如来坐像(3)

    【解説久野 健】 【観賞岡本 謙次郎


 大日如来坐像 - 土門拳 撮影 -
    「古寺巡礼 第三集」(1968 美術出版社)

   大日如来坐像:土門拳 撮影


この像が安元2年(1176)に運慶により造られたことは、大正10年に、
日本美術院長の新納忠之介が修理をした際に発見した、台座裏面の運慶
真筆による墨書によって明らかにされた。

制作年が、鎌倉幕府が開かれる文治元年(1185)の10年前であること
からすれば、本像の時代区分は、「平安時代(末期)」とされるべきだ
ろうが、「日本の彫刻」では「鎌倉時代」に分類し、その冒頭に置いて
いる。久野健はその解説において、「制作年代は、藤原末にあたってい
るが、すでに、あの形式的な藤原末期彫刻とは違い、そこには、全く新
たなものの生まれ出てくるいぶきが感じられる」としている。「鎌倉彫
刻の成立において、画期的な意義をもつ作品として評価される」ことか
ら、鎌倉時代の初めに置かれたのであろう。

本像は大正9年に旧国宝に指定され、新法下では、平成5年(1993)に
なって、ようやく国宝に指定された。木造の大日如来坐像としては、唯
一の国宝である。

重要文化財に指定されている木造の大日如来像は、
 ・ 東寺講堂立体曼陀羅の中心の大日如来坐像(康珍作 室町時代)
 ・ 石山寺多宝塔の本尊である大日如来坐像(快慶作 鎌倉時代)
 ・ 奈良国立博物館収蔵の木造大日如来坐像(平安時代)
などたくさんあるが、そのなかで、運慶作と推定される作品が2体ある。

一つは、栃木県足利市の光得寺蔵の「厨子入木造大日如来坐像」で、
指定文化財等データベース
の解説文には「運慶の作風に似ており・・・
運慶の作とは断言し難いまでも、運慶統率下の慶派仏師による造立と考
えられる」とある。昭和63年(1988)に、重要文化財に指定された。
もう一つは、東京都立川市の真澄寺蔵の「木造大日如来坐像」で、同じ
く解説文には「運慶の作風を濃厚に伝える大日如来像」とされている。
平成21年(2009)に重要文化財に指定された。

  【参照】 特集陳列「二体の大日如来像と運慶様の彫刻」 

円成寺の大日如来が一番好きな仏像だと述べる清泉女子大学の山本勉教
は、来年秋の東京国立博物館の特別展は「運慶展」が予定されている
と、ツイートした。

  興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」 2017年9月26日(火)~

出展作品の詳細はこれから明らかにされるのだろうが、2011年に開催
された金沢文庫80年特別展「運慶-中世密教と鎌倉幕府-」 では、円
成寺、光得寺、真如苑の3体の大日如来像が初めて揃って展示された。

来年秋の運慶展では、そんな夢のような展示はあり得ないだろうなと思
いながらも、実際にそうなったらどんなに素晴らしいことかなどと淡い
期待すら抱いている。これからどんな情報が出てくるのか、今から胸を
ワクワクさせている。

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  1. 2016/09/11(日) 11:44:50|
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旧参道六地蔵

H28.4.9(土) その4  1 2 3 4 5 6 7  8

山門をいったん出てから石段を降り、旧参道へと出た。
「虚空蔵の道のはたに」六地蔵さんが立っておられた。
文政3年(1820)、羅漢石造十六体と同時に、造立さ
れたとか。

六地蔵


供えるものを持ってこなかったのに、歯の痛みだけでなく、
背中や脚の痛みも和らげて下さるよう、厚かましくも願った。


六地蔵


六地蔵


六地蔵


六地蔵


六地蔵


六地蔵


六地蔵


いずれも、ほっこりとしたお顔立ちをしておられる。

赤い頭巾をかぶり、よだれかけをしているお地蔵さんたちが、
「手ぶらでもいいんだよ、厚かましいことなんかないんだよ」
と仰っているような気が、一瞬した。

私の耳は都合よくできているもんだと苦笑いしながらも、何
かホッとして、山門に向かい、急な石段をゆっくり上った。

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  1. 2016/04/30(土) 23:14:00|
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室生寺の仏たち

H26.12.30(火)

4ヵ月以上もスキャナーの上に置いたままにしていた、1枚
の河北新報紙を、昨日ようやくスキャンした。

これは、仙台市博物館で開催されていた「奈良・国宝 室生
寺の仏たち」を紹介する特集記事で、多くの写真を掲載し、
分かり易く書かれていた。

【1面】 十一面観音菩薩立像(国宝)・五重塔(国宝)・鎧坂

      (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

【2面】 十二神将立像(重要文化財)・釈迦如来坐像(国宝)
     両界曼荼羅・五重塔遠望・金堂(国宝)

      (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
      (9) (10) (11) (12)

写真は、「五重塔遠望」(土門拳)を除き、1,2面ともすべて
飛鳥園の撮影のものとか。見事な写真ばかりだ。

室生寺というと、土門拳のことが浮かんでくる。写真、書物、
映像など多くに及ぶが、中でも「日本の彫刻」に収められた
「室生寺:釈迦如来坐像」の写真(全体像・右手の2点)を忘
れることが出来ない。

 室生寺:釈迦如来坐像:土門拳 撮影  
 - 『日本の彫刻』(平安時代) 1960年 ㈱美術出版社 -

   室生寺:釈迦如来坐像(1)


   室生寺:釈迦如来坐像(2)

          【解 説】  【観 賞長谷川三郎

土門拳は、「フォトアート 1974年」の中で、次のように書いて
いる(『「拳魂』(2002年 世界文化社刊)(p.104~))。

  それは昭和十四一九三九年のこと・・・。 室生寺の弥勒
 堂の中に入ると、厨子の中の等身大に彫られた釈迦如来
 坐像に目を奪われた。そのときがぼくにとって弘仁仏との
 初めての出会いになった。目を半眼に見ひらいて、じっと
 虚空を見詰め、右手を前に出し、左手を膝において掌を上
 に向けて、足は結跏趺坐していた。じーっと、じーっと虚空
 を見詰めているばかりの釈迦であった。釈迦は今にももの
 を言いたそうに口を噤んでいる。その仏像は、昔は彩色し
 てあったのであろうが、今はすっかり剥げ落ちて下塗りの
 白い胡粉が残っているばかりだった。しかし、その仏像の
 額は秀でて実に利口な面相をしていた。ぼくはこの日以来、
 有名な寺々を巡ったが、この像くらい利口で頭のいい顔を
 した、そして天下第一の美男子の仏像はなかった。


「私の履歴書」(「日本経済新聞」昭和52年12月21日付)<弘
仁仏>では、次のように書いている(『土門拳 愛蔵版古寺巡
礼』(1998年 ㈱小学館))。

  弘仁は日本仏教史からいうと、ごくわずかの時間的な経
 過しか持っていない・・・。
  天平の金仏が盛期をすぎてもはやだめになり、といって
 木の時代の木彫仏がはっきりとして容姿を持つ前の過渡
 期、うんと唸り声をあげて、拳を振り回すような、活気あふ
 れた、しかしそれがなにやら見当がつかない、そういう過
 渡 期を指している時代だった。
  ぼくはどういうものか、その時代にひかれた。そしてそれ
 からは、日本中にある弘仁仏を撮ることになるのだ。何か、
 ぼくをそうさせるような、いうにいわれぬ魅力があったのだ
 ろう。その最初の興奮、最初の執着をぼくは室生寺で得た
 のだった。


私が最初に室生寺を訪ねたのは、昭和40年、22歳のときだ。
「日本の彫刻」に収められた、土門拳撮影の「室生寺:釈迦如
来坐像」の写真に魅せられたことによる。その後2回ほど訪ね
ているので、釈迦如来座像とお会いするのは、今回で4度目と
なる。

この半世紀の間、どうしてそうまでにこの仏像に惹かれてきた
のだろうか。 土門拳の言葉を借りれば、何かそうさせるような、
言うに言われぬ魅力がおありになるということかも知れない。

土門拳の愛蔵版「古寺巡礼」には、179作品が収められている。
室生寺で撮影された作品はカラーで5点(77~81)、モノクロー
ムで14点(105~118)、合わせて19点ある。

この4ヵ月間、愛蔵版の19点とかみさんが見つけて持ち帰った
河北新報を、読んだり、見たりしながら、楽しんでいる。

明日は大晦日。明後日は 2015年元旦。 来年こそは奈良に行
きたいと思ったりもするが、それが無理でも、さまざまな方法で、
奈良の姿を楽しむことが出来る。

来年は、仙台市博物館で「国宝 吉祥天女が舞い降りた!」が
開催される。身近に、奈良薬師寺の名宝を見ることが出来る。
今から、心待ちにしている。

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  1. 2014/12/31(水) 22:39:28|
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良弁僧正坐像

H26.12.16(火)

今日は、東大寺初代別当、良弁僧正の命日にあたり、開山
に安置されている国宝の「良弁僧正坐像」が特別に公開
された(「良弁僧正坐像」特別公開)。

久し振りに奈良まで出かけ、お顔を拝したいところなのだが、
到底無理なので、『日本の彫刻』を取り出し、土門拳が撮影
した写真でお会いした。

 良弁僧正坐像:土門拳 撮影  
  - 『日本の彫刻』(平安時代) 1960年 ㈱美術出版社 -

    良弁僧正坐像:土門拳撮影(1)


    良弁僧正坐像:土門拳撮影(2)


    良弁僧正坐像:土門拳撮影(3)

         【解説】   【鑑賞宇野浩二

お顔について何と表現すればよいのだろうか、言葉が出ない。

宇野浩二は、『日本の彫刻』の中で、次のように記している。

 「それで、お顔を見ると、失礼ないい方であるが、こういう顔
 は、近畿地方(殊に大阪あたり)に、よく見かける顔である。
 ・・・大阪の人の中に、今も、ときどき、見かける顔である。」


しばらくは、そうか、大阪の人の顔なのかと思っていたのだが、
白洲正子は、『かくれ里』(1971年 新潮社刊)の中で次のよう
に記した。

 「良弁の伝記には不明な所が多いが、一説には、金勝山の
 麓で生れた、百済の帰化人の子孫であったという。東大寺
 にある良弁の彫像は、どことなく外国人らしい風貌を伝えて
 おり、近江はもともと帰化人が多い土地だから、これはおそ
 らく事実に違いない。」


「一説には・・・」と書いていたのが、『十一面観音巡礼』(昭和
50年 新潮社刊)の中では、「百済人の子孫であった良弁」と
断定している(<木津川にそって> 新装版 p.71)。

全体のお姿を写した写真からは、穏やかで、温かみのある印
象を受ける。一方、お顔のみを切りとった写真からは、心の奥
底を見透かすような鋭く厳しい表情の印象を受ける。また、悲
しげな面持ちのようでありながら、強靭な意志力を秘めている、
慈愛に満ちた菩薩のような表情の印象をも受ける。

土門拳は、『拳魂』(2002年 世界文化社刊)<ぼくの写真学>
(p.100~)の中で、次のように書いている。

 「何事を写すにも、何にせよ、その写そうとするものをじーっ
 と見ることが必要だ」
<静物の写し方>

 「仏像を写すには、他のモノと同様に仏像をじっと眺めること
 だ。静かにじっと眺めることから、仏像が何を表そうとしてい
 るのかを見ることだ。」
<仏像を撮るには>

 「まず、その人間の目玉を見る。目をじーっと、じーっと見る。
 次に左手が、右手がどうしているかを見る。目と手を見る事
 によって、その人間が今、何をしようとしているか、をはっき
 り見るのだ。見極めがついたら、最初にピントを「目」に合わ
 せる。そして、目の動きを追う。目の動きが止まった時、つま
 り、目がある一点を凝視しているその瞬間、その瞬間を見計
 らってシャッターを切る。」
<人物写真について>

良弁僧正は、「大阪の人の顔」、それとも「外国の人の顔」なの
かはさておき、土門拳は、坐像に向きあい、どんな心眼で凝視
し続け、シャッターを切ったのだろうか・・・。

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  1. 2014/12/26(金) 12:24:52|
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岩谷観音(6)

H26.11.15(土)

友人から、京都に旅行し、比叡山と親鸞ゆかりのお寺を訪ね
てきたとのメールを頂いた。京都市内でのお目当ては、親鸞
が比叡山を下りて真っ先に籠ったとされる六角堂だったとか。

六角堂と言えば、京都の通りを覚える際の数え歌を思い出す。

 「丸(まる)(たけ)(えびす)(に)(おし)御池(おいけ)
  姉(あね)(さん)六角(ろ っかく)(たこ)(にしき)・・・」


「六角」は「六角通り」で、名は六角堂(「紫雲山頂法寺」)
がある通りということから付けられとのこと。

六角堂は西国三十三所の18番札所。
ご本尊の如意輪観音像は、古来厳重な秘仏とされているが、
西国巡礼の中興の祖、花山法皇(968~1008)の千年忌を
記念した全寺院の本尊公開の一環として、2008年11月に
136年ぶりに開帳された(asahi.com 2008年9月12日)。

  西国三十三所 第18番 六角堂

33寺の内 如意輪観音をご本尊としているのは、次の6寺。

   第一番    青岸渡寺 (和歌山県智勝浦町)
   第七番    岡 寺   (奈良県明日香村)
   第十三番   石 山 寺 (滋賀県大津市)
   第十四番   三 井 寺 (滋賀県大津市)
   第十八番   六 角 堂 (京都市中京区)
   第二十七番 圓 教 寺 (兵庫県姫路市)

日赤病院の帰りに、岩谷観音の参道のきつい傾斜の石段を
上り、六角堂の如意輪観音を探したが見つけられなかった。
これまでに何とか判ったのは、6寺の内、まだ次の 3寺だけ。

 第一番 青岸渡寺: 如意輪観音  - 第1群正面中央左

一番 青岸渡寺:如意輪観音


 第十三番 石山寺: 如意輪観音(1)  - 第1群左上段右

十三番 石山寺:如意輪観音(1)


 第十三番 石山寺: 如意輪観音(2)  - 第2群中段右 -

十三番 石山寺:如意輪観音(2)


 第十四番 園城寺: 如意輪観音(2)  - 第2群中段左

十四番 園城寺:如意輪観音


4年前のこと、友人は、100段近くもある岩谷観音の急な階段
を何十回も上り、「四国 88ヵ所 歩き遍路」に向けて下半身を
鍛えたとのこと。おかげで、四国霊場の階段に苦しむことはな
かったそうだ。

通し打ちで巡礼した場合の総延長は、1200kmを超えるとか。
一日30kmとして40日もかかる。それも毎日。大変な距離だ。
無事に結願した友人は、その過酷な体験を記録としてまとめ、
その最後に、締めくくりとして、次のように書いている。

 「37日間の巡礼でサビやアカをどれだけ削ぎ落とすこ
 とが出来たのか、と問われればいささか心もとないが、
 それでも得たものは多く貴重な経験だった。今度は花
 の咲く季節に行きたいと思う。」


日常の生活では得難い、新鮮な出会い、驚き、そして感動
が続く中で、友人は、確かな手ごたえを間違いなく得ている
・・・友人のお遍路さん姿を想い浮かべながら、素敵な内容
の紀行文を再読しているうちに、そう確信した。

今年は、奇しくも四国霊場の『開創1200年』に当たるとされ
る記念すべき年。テレビを見たりして、追っかけ歩き体験を
している。

西国三十三所、四国八十八箇所の何れも巡ったことがない
私だが、大病をして以来、信達三十三観音札所を巡りたい、
岩谷観音の三十三観音すべてにお参りしたいとの思いを持
つようになった。

友人は、その思いを さらに深めてくれた。  感謝!

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  1. 2014/11/17(月) 16:36:10|
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岩谷観音(5)

H26.6.3(火) 24(火)

磨崖仏の中には、制作年を判読できるものがある。

 「寶永六巳丑年」  1709年

H26.6.3 寶永六巳丑年(1)H26.6.3 寶永六巳丑年(2)


H26.6.3 寶永六巳丑年(3)


  「寶永七年」  1710年

H26.6.3 寶永七年(1)H26.6.3 寶永七年(2)


H26.6.3 寶永七年(3)


  「 宝永庚寅?」  1710年?

H26.6.24 宝永庚寅?(1)H26.6.3 宝永庚寅?(2)


H26.6.3 宝永庚寅?(3)


  「 寶永七年?」  1710年?

     H26.6.3 寶永七年?

判読できる制作年で最も古いのは、宝永2年(1705年)とか。
聖観音像らしいが、次に行くときには、お会いしたいものだ。

それにしても宝永年間とは、どんな時代だったのだろうか?
図書館で調べたいと思っているが、まだ行ってない。

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  1. 2014/09/09(火) 15:45:28|
  2. 彫 刻
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岩谷観音(4)

H26.6.3(火) 24(火)

鐘楼に向かって進むと、右側にも、その上にも磨崖仏がある。
庚申塔、鐘楼を見てから、右側の後ろ奥の方に目を転じると、
古峰神社、福島八景記念碑、そして多くの磨崖仏が目に入る。

H26.6.24 鐘楼への石段手前右
H26.6.3 石段手前右上
H26.6.24 庚申塔等
H26.6.24 鐘楼 
H26.6.24 鐘楼の手前右奥
H26.6.3 古峰神社
H26.6.24 福島八景記念碑
H26.6.24 磨崖仏群

急な石段の参道を上ってからここにいたるまで、一つひとつを
心ゆくまで見尽くすことが出来ない程の磨崖仏のオンパレード。
何と見事なのだろうか!  圧巻としか言いようがない。

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  1. 2014/06/24(火) 23:30:00|
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岩谷観音(3)

H26.6.3(火)&24(火)

観音堂の扁額に書かれている言葉は、「施無畏」(せむい)。

「施無畏」の意味については、
 ① 仏・菩薩が衆生(しゆじよう)のおそれを除き,救うこと。
 ② 観世音菩薩の別称。
と解説されている(大辞林(第三版))。

観世音菩薩は三十三種の姿に化身し、衆生を救うとか。
基本となる像容は、聖観音(正観音)像とされている。

観音堂を一回りして、磨崖仏が彫られている岸壁に向き合った。

正面中央にある巌窟が、伊賀良目高重が持仏の聖観音を祀った
とされる巌窟なのだろうか。唐破風付きの屋根があったそうだが、
残っている丸い穴は、屋根を取り付けるために掘られたものなの
かもしれない。

現在の「岩谷観音」は、この「窟観音」に始まり、応永年間や慶長
年間の「観音堂」の建立・再建を経て、三十三観音巡礼の気運の
高まりにつれて磨崖仏が彫られるようになり、形成されたとか。

案内板は、磨崖仏群について、次のように記している。

  西国三十三観音本尊像をはじめ、60体に及ぶ供養仏が
  ありますが、宝永2年(1705)の聖観音像・同7年の巳待
  供養弁財像が年紀のわかるものとしては古いものです。
  三十三観音像もおおかたこのころから彫られたと思われ
  ますが、西国の札所名と本尊のお姿が正確で仏像の儀
  軌に通じた修行僧が敬虔(けいけん)な鑿(のみ)をふるった
  ものと思われます。



H26.6.24 磨崖仏群:正面中央(1)
H26.6.24 磨崖仏群:正面中央(2)
H26.6.24 磨崖仏群:正面右
H26.6.24 磨崖仏群:正面左(1)
H26.6.24 磨崖仏群:正面左(2)
H26.6.24 磨崖仏群:正面左


左側の石段を上って行くと、鐘楼がある。
右側に、福島八景記念碑、庚申塔、磨崖仏群、古峰神社等と続く。

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  1. 2014/06/24(火) 23:00:00|
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岩谷観音(1)

H26.6.3(火)

昨日は、鎌田大橋から対岸に渡り、さらに文知摺橋を回り自宅に
戻った。歩数は、リハビリウォークの域を遥かに超える 12,500歩。
ハード過ぎた!

今朝は、文知摺橋を直進して 3,000歩に達したら戻ろうと決めて、
家を出た。が、岩谷下交差点でも 3,000歩にも満たない。さらに、
交差点の真っ直ぐ先、細い道を直進し、祓川に出た。約 3,000歩。

H26.6.3 祓川沿い「道案内」


岩谷観音の案内図を見たら、家を出るときの固い決意?は何処へ
やら、何十年振りのお参りをしてみようと、急な石段を上り始めた。

H26.6.3 岩谷観音境内案内図


観音堂までの途中18段目右に、長命・成願地蔵尊が祀られている。

 長命地蔵尊

H26.6.3 長命地蔵尊


 成願地蔵尊

H26.6.3 成願地蔵尊


 長命・成願地蔵御詠歌

H26.6.3 長命・成願地蔵御詠歌

お地蔵さんは、赤ちゃんや子供さんの守り神。
お顔を拝していたら、自然と和やかな気持ちになり、心が安らいだ。

先月14日生まれの孫は、抱かせてもらっていると、時折、私どもに
何とも言えぬ笑顔を見せてくれる。「えな笑い」と呼ばれるものとか。
まさに至福の贈り物。その瞬間、どうしようもなく、たまらなく嬉しい。

赤ちゃんにもお地蔵さんにも、とても不思議なパワーが宿っている。
力をもらって、今日も歩数が伸び、9,000歩以上歩くことが出来た。



 笑いで始まる人の一生「胞衣(えな)笑い」
   - 子育て応援サイト『子育てCandy』 中村肇先生 監修 -

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  1. 2014/06/18(水) 12:46:34|
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春の例大祭 4

H26.4.20(日)

ご本尊の前に正座した。

  木造聖観音菩薩立像
   県指定重要文化財(彫刻) 平成2年3月23日指定

      木造聖観音菩薩立像(1)
 -福島県立博物館「企画展 中通りの仏像」図録(平成元年)-

体調を崩して以来、座ることが殆ど出来なくなっていたが、 

      木造聖観音菩薩立像(2)
 -冊子「大蔵寺」(平成13年 宝城山 大蔵寺 発行)-

痛みがあることすら忘れ、座り続けていることが出来た。

      木造聖観音菩薩立像(3)

どのくらい時間が過ぎただろうか、胸に熱いものが込み上げてきた。

             -大蔵寺パンフレット-

      木造聖観音菩薩立像(4)



「私たちの胸の中のみ仏」 (抜粋)
   - 吉村貞司著 『古仏の祈りと涙 -みちのく紀行-』所収
                  (昭和58年 ㈱新潮社 発行)-

  小倉寺や 松吹く風の おのづから 千手のちかひ あらたなるらん

 御詠歌は千手をたたえているが、三十三所の一番のみ仏は聖観音
である ・・・ 。
 千手観音は堅くきびしいが、聖観音はあたたかく軟らかくいつくしみ
のあふるるみ仏である。この堅さとやわらかさのちがいはどこから来
ているのだろう。千手観音はカヤで漆箔をほどこしている。漆箔が鎧
となった。聖観音は白い塗料がうすれて、生地がむき出しになってい
る。これは武装にはならぬ。木肌があきらかなのは、素肌を見せてい
ると同じだ。素肌をあらわにするのは心のかげりをもかくさぬことだ。
東北のみ仏たちのわけへだてのない親しさは、こんなところにも原因
がある。観念でも理論でもなく、ただ心と心が通い合う、そこにみ仏が
ある。聖観音はそうした心の通うあたたかいみ仏なのだ。祈ればいつ
しか苦しみも涙もつつみこまれてしまっている。


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  1. 2014/04/20(日) 20:00:00|
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春の例大祭 2

H26.4.20(日)

お地蔵さんたちの頭巾とよだれかけが、新しくなっていた。
フクジュソウの撮影に来た先月16日には、まだ取り替えられていな
かったから、例大祭を前に、お色直しをしてもらったのだろう。

真っ赤な頭巾とよだれかけで飾られて、嬉しそうだったり、照れてい
るようだったり ・・・ 本当に、どのお地蔵さんも、良いお顔をしている。

 地蔵堂とお地蔵さんたち  H26.4.12(土) 撮影

H26.4.12 地蔵堂とその周り


お堂の扉が開かれていて、中に安置されているお地蔵さんにお会い
出来た。全体の姿を拝することはできなかったが、高さは72㎝とか。
木造の子安地蔵菩薩さんで、よだれかけでなく、衣を身に纏い、お腹
の所に紐を結んでいた。

 お地蔵さん  H26.4.20(日) 撮影

地蔵堂が開かれ


冊子「大蔵寺」(平成13年 宝城山大蔵寺 発行)に、地蔵堂は、明和
2年(1765年)に整備されたと記されている。お堂の前のお地蔵さん
について、吉村貞司はその著「古仏の祈りと涙 -みちのく紀行-」
(昭和58年 ㈱新潮社 発行)の中で、「あのお地蔵さまは子安地蔵、
三島通庸県令の命令で、明治16年に元船場から移されました」と説
明されたことを書き残している。

明治16年(1883年)は、県庁東側、阿武隈川の北岸舟場町と南岸
渡利字舟場の間に、15隻の船を利用した浮き船の橋(現 「松齢橋
の前身)が架けられた年。このときに、渡利側の船着き場の辺りに
在ったお地蔵さんたちが、ここに移されて来たということなのだろう。

 地蔵堂の前で

チョッと お澄まし

ほっこりとして

ときには シブく


お色直しで、一層あたたかさを増した感じがするお地蔵さんたち・・・

お顔を傷めながらも、何百年と母たちの願いや祈りを受け止めて
きた。阿武隈川の流れを見つめながら、また山の静けさに身を置
きながら、子どもたちの健やかな成長を見守り続けてきた。

これからも、穏やかな優しいお顔で、見守ってくれるに違いない。

詣でる人たちの願いや祈りも、時空を超えて繋がっていく、と思い
ながら、観音寺への石段を、一段一段ゆっくりと上った。

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  1. 2014/04/20(日) 16:04:59|
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大蔵寺の参道

H26.4.7(月)

大蔵寺の参道入口の石段を上って行くと、お地蔵さんや石碑に出会える。

 各人?各様の帽子をかぶり・・・

H26.4.7 お地蔵さん


 キリシタン地蔵?

キリシタン地蔵

このお地蔵さんの左腹のところには、十字の形が刻まれている。
現在の「福島」という地名については、蒲生氏郷公や、その客将
となった木村吉清が、大森城を廃し、杉目城を改修して福島城
命名したことに由来するとか(「福島の語源」)。

氏郷公も、木村吉清も、いずれもキリシタン大名。
とすれば、福島にも隠れキリシタンがいたのでは、と推測される。
この十字の形を刻んだお地蔵さんは、信徒の方々が奉納したも
のかも知れない。


 法華講中の石碑   「寛保四 甲子」 (1744年) とある
 
H26.4.7 法華講中碑


 女中講の石碑   女性たちの 願い 祈り 楽しみが ・・・
 
H26.4.7 女中講碑


 歩きやすく   石段の先からバイパスの間まで整備され

   H26.4.7 参道

かっては、阿武隈川の畔から歩いての参詣。大変だったと思う。
小倉寺観音は信達三十三番観音の一番札所。観音堂の厨子に
収められている聖観音立像は秘仏で、年に一度、春の例大祭に
開扉される。

今年は、4月20日(月)。
観音堂まで参道を歩いて上り、ご本尊を拝したいと思っている。

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  1. 2014/04/10(木) 12:08:30|
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