独りよがりのつぶやき

花の写真を中心とした 気ままなブログです

旧参道六地蔵

H28.4.9(土) その4  1 2 3 4 5 6 7  8

山門をいったん出てから石段を降り、旧参道へと出た。
「虚空蔵の道のはたに」六地蔵さんが立っておられた。
文政3年(1820)、羅漢石造十六体と同時に、造立さ
れたとか。

六地蔵


供えるものを持ってこなかったのに、歯の痛みだけでなく、
背中や脚の痛みも和らげて下さるよう、厚かましくも願った。


六地蔵


六地蔵


六地蔵


六地蔵


六地蔵


六地蔵


六地蔵


いずれも、ほっこりとしたお顔立ちをしておられる。

赤い頭巾をかぶり、よだれかけをしているお地蔵さんたちが、
「手ぶらでもいいんだよ、厚かましいことなんかないんだよ」
と仰っているような気が、一瞬した。

私の耳は都合よくできているもんだと苦笑いしながらも、何
かホッとして、山門に向かい、急な石段をゆっくり上った。

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  1. 2016/04/30(土) 23:14:00|
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室生寺の仏たち

H26.12.30(火)

4ヵ月以上もスキャナーの上に置いたままにしていた、1枚
の河北新報紙を、昨日ようやくスキャンした。

これは、仙台市博物館で開催されていた「奈良・国宝 室生
寺の仏たち」を紹介する特集記事で、多くの写真を掲載し、
分かり易く書かれていた。

【1面】 十一面観音菩薩立像(国宝)・五重塔(国宝)・鎧坂

      (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

【2面】 十二神将立像(重要文化財)・釈迦如来坐像(国宝)
     両界曼荼羅・五重塔遠望・金堂(国宝)

      (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
      (9) (10) (11) (12)

写真は、「五重塔遠望」(土門拳)を除き、1,2面ともすべて
飛鳥園の撮影のものとか。見事な写真ばかりだ。

室生寺というと、土門拳のことが浮かんでくる。写真、書物、
映像など多くに及ぶが、中でも「日本の彫刻」に収められた
「室生寺:釈迦如来坐像」の写真(全体像・右手の2点)を忘
れることが出来ない。

 室生寺:釈迦如来坐像:土門拳 撮影  
 - 『日本の彫刻』(平安時代) 1960年 ㈱美術出版社 -

   室生寺:釈迦如来坐像(1)


   室生寺:釈迦如来坐像(2)

          【解 説】  【観 賞長谷川三郎

土門拳は、「フォトアート 1974年」の中で、次のように書いて
いる(『「拳魂』(2002年 世界文化社刊)(p.104~))。

  それは昭和十四一九三九年のこと・・・。 室生寺の弥勒
 堂の中に入ると、厨子の中の等身大に彫られた釈迦如来
 坐像に目を奪われた。そのときがぼくにとって弘仁仏との
 初めての出会いになった。目を半眼に見ひらいて、じっと
 虚空を見詰め、右手を前に出し、左手を膝において掌を上
 に向けて、足は結跏趺坐していた。じーっと、じーっと虚空
 を見詰めているばかりの釈迦であった。釈迦は今にももの
 を言いたそうに口を噤んでいる。その仏像は、昔は彩色し
 てあったのであろうが、今はすっかり剥げ落ちて下塗りの
 白い胡粉が残っているばかりだった。しかし、その仏像の
 額は秀でて実に利口な面相をしていた。ぼくはこの日以来、
 有名な寺々を巡ったが、この像くらい利口で頭のいい顔を
 した、そして天下第一の美男子の仏像はなかった。


「私の履歴書」(「日本経済新聞」昭和52年12月21日付)<弘
仁仏>では、次のように書いている(『土門拳 愛蔵版古寺巡
礼』(1998年 ㈱小学館))。

  弘仁は日本仏教史からいうと、ごくわずかの時間的な経
 過しか持っていない・・・。
  天平の金仏が盛期をすぎてもはやだめになり、といって
 木の時代の木彫仏がはっきりとして容姿を持つ前の過渡
 期、うんと唸り声をあげて、拳を振り回すような、活気あふ
 れた、しかしそれがなにやら見当がつかない、そういう過
 渡 期を指している時代だった。
  ぼくはどういうものか、その時代にひかれた。そしてそれ
 からは、日本中にある弘仁仏を撮ることになるのだ。何か、
 ぼくをそうさせるような、いうにいわれぬ魅力があったのだ
 ろう。その最初の興奮、最初の執着をぼくは室生寺で得た
 のだった。


私が最初に室生寺を訪ねたのは、昭和40年、22歳のときだ。
「日本の彫刻」に収められた、土門拳撮影の「室生寺:釈迦如
来坐像」の写真に魅せられたことによる。その後2回ほど訪ね
ているので、釈迦如来座像とお会いするのは、今回で4度目と
なる。

この半世紀の間、どうしてそうまでにこの仏像に惹かれてきた
のだろうか。 土門拳の言葉を借りれば、何かそうさせるような、
言うに言われぬ魅力がおありになるということかも知れない。

土門拳の愛蔵版「古寺巡礼」には、179作品が収められている。
室生寺で撮影された作品はカラーで5点(77~81)、モノクロー
ムで14点(105~118)、合わせて19点ある。

この4ヵ月間、愛蔵版の19点とかみさんが見つけて持ち帰った
河北新報を、読んだり、見たりしながら、楽しんでいる。

明日は大晦日。明後日は 2015年元旦。 来年こそは奈良に行
きたいと思ったりもするが、それが無理でも、さまざまな方法で、
奈良の姿を楽しむことが出来る。

来年は、仙台市博物館で「国宝 吉祥天女が舞い降りた!」が
開催される。身近に、奈良薬師寺の名宝を見ることが出来る。
今から、心待ちにしている。

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  1. 2014/12/31(水) 22:39:28|
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良弁僧正坐像

H26.12.16(火)

今日は、東大寺初代別当、良弁僧正の命日にあたり、開山
に安置されている国宝の「良弁僧正坐像」が特別に公開
された(「良弁僧正坐像」特別公開)。

久し振りに奈良まで出かけ、お顔を拝したいところなのだが、
到底無理なので、『日本の彫刻』を取り出し、土門拳が撮影
した写真でお会いした。

 良弁僧正坐像:土門拳 撮影  
  - 『日本の彫刻』(平安時代) 1960年 ㈱美術出版社 -

    良弁僧正坐像:土門拳撮影(1)


    良弁僧正坐像:土門拳撮影(2)


    良弁僧正坐像:土門拳撮影(3)

         【解説】   【鑑賞宇野浩二

お顔について何と表現すればよいのだろうか、言葉が出ない。

宇野浩二は、『日本の彫刻』の中で、次のように記している。

 「それで、お顔を見ると、失礼ないい方であるが、こういう顔
 は、近畿地方(殊に大阪あたり)に、よく見かける顔である。
 ・・・大阪の人の中に、今も、ときどき、見かける顔である。」


しばらくは、そうか、大阪の人の顔なのかと思っていたのだが、
白洲正子は、『かくれ里』(1971年 新潮社刊)の中で次のよう
に記した。

 「良弁の伝記には不明な所が多いが、一説には、金勝山の
 麓で生れた、百済の帰化人の子孫であったという。東大寺
 にある良弁の彫像は、どことなく外国人らしい風貌を伝えて
 おり、近江はもともと帰化人が多い土地だから、これはおそ
 らく事実に違いない。」


「一説には・・・」と書いていたのが、『十一面観音巡礼』(昭和
50年 新潮社刊)の中では、「百済人の子孫であった良弁」と
断定している(<木津川にそって> 新装版 p.71)。

全体のお姿を写した写真からは、穏やかで、温かみのある印
象を受ける。一方、お顔のみを切りとった写真からは、心の奥
底を見透かすような鋭く厳しい表情の印象を受ける。また、悲
しげな面持ちのようでありながら、強靭な意志力を秘めている、
慈愛に満ちた菩薩のような表情の印象をも受ける。

土門拳は、『拳魂』(2002年 世界文化社刊)<ぼくの写真学>
(p.100~)の中で、次のように書いている。

 「何事を写すにも、何にせよ、その写そうとするものをじーっ
 と見ることが必要だ」
<静物の写し方>

 「仏像を写すには、他のモノと同様に仏像をじっと眺めること
 だ。静かにじっと眺めることから、仏像が何を表そうとしてい
 るのかを見ることだ。」
<仏像を撮るには>

 「まず、その人間の目玉を見る。目をじーっと、じーっと見る。
 次に左手が、右手がどうしているかを見る。目と手を見る事
 によって、その人間が今、何をしようとしているか、をはっき
 り見るのだ。見極めがついたら、最初にピントを「目」に合わ
 せる。そして、目の動きを追う。目の動きが止まった時、つま
 り、目がある一点を凝視しているその瞬間、その瞬間を見計
 らってシャッターを切る。」
<人物写真について>

良弁僧正は、「大阪の人の顔」、それとも「外国の人の顔」なの
かはさておき、土門拳は、坐像に向きあい、どんな心眼で凝視
し続け、シャッターを切ったのだろうか・・・。

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  1. 2014/12/26(金) 12:24:52|
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岩谷観音(6)

H26.11.15(土)

友人から、京都に旅行し、比叡山と親鸞ゆかりのお寺を訪ね
てきたとのメールを頂いた。京都市内でのお目当ては、親鸞
が比叡山を下りて真っ先に籠ったとされる六角堂だったとか。

六角堂と言えば、京都の通りを覚える際の数え歌を思い出す。

 「丸(まる)(たけ)(えびす)(に)(おし)御池(おいけ)
  姉(あね)(さん)六角(ろ っかく)(たこ)(にしき)・・・」


「六角」は「六角通り」で、名は六角堂(「紫雲山頂法寺」)
がある通りということから付けられとのこと。

六角堂は西国三十三所の18番札所。
ご本尊の如意輪観音像は、古来厳重な秘仏とされているが、
西国巡礼の中興の祖、花山法皇(968~1008)の千年忌を
記念した全寺院の本尊公開の一環として、2008年11月に
136年ぶりに開帳された(asahi.com 2008年9月12日)。

  西国三十三所 第18番 六角堂

33寺の内 如意輪観音をご本尊としているのは、次の6寺。

   第一番    青岸渡寺 (和歌山県智勝浦町)
   第七番    岡 寺   (奈良県明日香村)
   第十三番   石 山 寺 (滋賀県大津市)
   第十四番   三 井 寺 (滋賀県大津市)
   第十八番   六 角 堂 (京都市中京区)
   第二十七番 圓 教 寺 (兵庫県姫路市)

日赤病院の帰りに、岩谷観音の参道のきつい傾斜の石段を
上り、六角堂の如意輪観音を探したが見つけられなかった。
これまでに何とか判ったのは、6寺の内、まだ次の 3寺だけ。

 第一番 青岸渡寺: 如意輪観音  - 第1群正面中央左

一番 青岸渡寺:如意輪観音


 第十三番 石山寺: 如意輪観音(1)  - 第1群左上段右

十三番 石山寺:如意輪観音(1)


 第十三番 石山寺: 如意輪観音(2)  - 第2群中段右 -

十三番 石山寺:如意輪観音(2)


 第十四番 園城寺: 如意輪観音(2)  - 第2群中段左

十四番 園城寺:如意輪観音


4年前のこと、友人は、100段近くもある岩谷観音の急な階段
を何十回も上り、「四国 88ヵ所 歩き遍路」に向けて下半身を
鍛えたとのこと。おかげで、四国霊場の階段に苦しむことはな
かったそうだ。

通し打ちで巡礼した場合の総延長は、1200kmを超えるとか。
一日30kmとして40日もかかる。それも毎日。大変な距離だ。
無事に結願した友人は、その過酷な体験を記録としてまとめ、
その最後に、締めくくりとして、次のように書いている。

 「37日間の巡礼でサビやアカをどれだけ削ぎ落とすこ
 とが出来たのか、と問われればいささか心もとないが、
 それでも得たものは多く貴重な経験だった。今度は花
 の咲く季節に行きたいと思う。」


日常の生活では得難い、新鮮な出会い、驚き、そして感動
が続く中で、友人は、確かな手ごたえを間違いなく得ている
・・・友人のお遍路さん姿を想い浮かべながら、素敵な内容
の紀行文を再読しているうちに、そう確信した。

今年は、奇しくも四国霊場の『開創1200年』に当たるとされ
る記念すべき年。テレビを見たりして、追っかけ歩き体験を
している。

西国三十三所、四国八十八箇所の何れも巡ったことがない
私だが、大病をして以来、信達三十三観音札所を巡りたい、
岩谷観音の三十三観音すべてにお参りしたいとの思いを持
つようになった。

友人は、その思いを さらに深めてくれた。  感謝!

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  1. 2014/11/17(月) 16:36:10|
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岩谷観音(5)

H26.6.3(火) 24(火)

磨崖仏の中には、制作年を判読できるものがある。

 「寶永六巳丑年」  1709年

H26.6.3 寶永六巳丑年(1)H26.6.3 寶永六巳丑年(2)


H26.6.3 寶永六巳丑年(3)


  「寶永七年」  1710年

H26.6.3 寶永七年(1)H26.6.3 寶永七年(2)


H26.6.3 寶永七年(3)


  「 宝永庚寅?」  1710年?

H26.6.24 宝永庚寅?(1)H26.6.3 宝永庚寅?(2)


H26.6.3 宝永庚寅?(3)


  「 寶永七年?」  1710年?

     H26.6.3 寶永七年?

判読できる制作年で最も古いのは、宝永2年(1705年)とか。
聖観音像らしいが、次に行くときには、お会いしたいものだ。

それにしても宝永年間とは、どんな時代だったのだろうか?
図書館で調べたいと思っているが、まだ行ってない。

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  1. 2014/09/09(火) 15:45:28|
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岩谷観音(4)

H26.6.3(火) 24(火)

鐘楼に向かって進むと、右側にも、その上にも磨崖仏がある。
庚申塔、鐘楼を見てから、右側の後ろ奥の方に目を転じると、
古峰神社、福島八景記念碑、そして多くの磨崖仏が目に入る。

H26.6.24 鐘楼への石段手前右
H26.6.3 石段手前右上
H26.6.24 庚申塔等
H26.6.24 鐘楼 
H26.6.24 鐘楼の手前右奥
H26.6.3 古峰神社
H26.6.24 福島八景記念碑
H26.6.24 磨崖仏群

急な石段の参道を上ってからここにいたるまで、一つひとつを
心ゆくまで見尽くすことが出来ない程の磨崖仏のオンパレード。
何と見事なのだろうか!  圧巻としか言いようがない。

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  1. 2014/06/24(火) 23:30:00|
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岩谷観音(3)

H26.6.3(火)&24(火)

観音堂の扁額に書かれている言葉は、「施無畏」(せむい)。

「施無畏」の意味については、
 ① 仏・菩薩が衆生(しゆじよう)のおそれを除き,救うこと。
 ② 観世音菩薩の別称。
と解説されている(大辞林(第三版))。

観世音菩薩は三十三種の姿に化身し、衆生を救うとか。
基本となる像容は、聖観音(正観音)像とされている。

観音堂を一回りして、磨崖仏が彫られている岸壁に向き合った。

正面中央にある巌窟が、伊賀良目高重が持仏の聖観音を祀った
とされる巌窟なのだろうか。唐破風付きの屋根があったそうだが、
残っている丸い穴は、屋根を取り付けるために掘られたものなの
かもしれない。

現在の「岩谷観音」は、この「窟観音」に始まり、応永年間や慶長
年間の「観音堂」の建立・再建を経て、三十三観音巡礼の気運の
高まりにつれて磨崖仏が彫られるようになり、形成されたとか。

案内板は、磨崖仏群について、次のように記している。

  西国三十三観音本尊像をはじめ、60体に及ぶ供養仏が
  ありますが、宝永2年(1705)の聖観音像・同7年の巳待
  供養弁財像が年紀のわかるものとしては古いものです。
  三十三観音像もおおかたこのころから彫られたと思われ
  ますが、西国の札所名と本尊のお姿が正確で仏像の儀
  軌に通じた修行僧が敬虔(けいけん)な鑿(のみ)をふるった
  ものと思われます。



H26.6.24 磨崖仏群:正面中央(1)
H26.6.24 磨崖仏群:正面中央(2)
H26.6.24 磨崖仏群:正面右
H26.6.24 磨崖仏群:正面左(1)
H26.6.24 磨崖仏群:正面左(2)
H26.6.24 磨崖仏群:正面左


左側の石段を上って行くと、鐘楼がある。
右側に、福島八景記念碑、庚申塔、磨崖仏群、古峰神社等と続く。

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  1. 2014/06/24(火) 23:00:00|
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岩谷観音(1)

H26.6.3(火)

昨日は、鎌田大橋から対岸に渡り、さらに文知摺橋を回り自宅に
戻った。歩数は、リハビリウォークの域を遥かに超える 12,500歩。
ハード過ぎた!

今朝は、文知摺橋を直進して 3,000歩に達したら戻ろうと決めて、
家を出た。が、岩谷下交差点でも 3,000歩にも満たない。さらに、
交差点の真っ直ぐ先、細い道を直進し、祓川に出た。約 3,000歩。

H26.6.3 祓川沿い「道案内」


岩谷観音の案内図を見たら、家を出るときの固い決意?は何処へ
やら、何十年振りのお参りをしてみようと、急な石段を上り始めた。

H26.6.3 岩谷観音境内案内図


観音堂までの途中18段目右に、長命・成願地蔵尊が祀られている。

 長命地蔵尊

H26.6.3 長命地蔵尊


 成願地蔵尊

H26.6.3 成願地蔵尊


 長命・成願地蔵御詠歌

H26.6.3 長命・成願地蔵御詠歌

お地蔵さんは、赤ちゃんや子供さんの守り神。
お顔を拝していたら、自然と和やかな気持ちになり、心が安らいだ。

先月14日生まれの孫は、抱かせてもらっていると、時折、私どもに
何とも言えぬ笑顔を見せてくれる。「えな笑い」と呼ばれるものとか。
まさに至福の贈り物。その瞬間、どうしようもなく、たまらなく嬉しい。

赤ちゃんにもお地蔵さんにも、とても不思議なパワーが宿っている。
力をもらって、今日も歩数が伸び、9,000歩以上歩くことが出来た。



 笑いで始まる人の一生「胞衣(えな)笑い」
   - 子育て応援サイト『子育てCandy』 中村肇先生 監修 -

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  1. 2014/06/18(水) 12:46:34|
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春の例大祭 4

H26.4.20(日)

ご本尊の前に正座した。

  木造聖観音菩薩立像
   県指定重要文化財(彫刻) 平成2年3月23日指定

      木造聖観音菩薩立像(1)
 -福島県立博物館「企画展 中通りの仏像」図録(平成元年)-

体調を崩して以来、座ることが殆ど出来なくなっていたが、 

      木造聖観音菩薩立像(2)
 -冊子「大蔵寺」(平成13年 宝城山 大蔵寺 発行)-

痛みがあることすら忘れ、座り続けていることが出来た。

      木造聖観音菩薩立像(3)

どのくらい時間が過ぎただろうか、胸に熱いものが込み上げてきた。

             -大蔵寺パンフレット-

      木造聖観音菩薩立像(4)



「私たちの胸の中のみ仏」 (抜粋)
   - 吉村貞司著 『古仏の祈りと涙 -みちのく紀行-』所収
                  (昭和58年 ㈱新潮社 発行)-

  小倉寺や 松吹く風の おのづから 千手のちかひ あらたなるらん

 御詠歌は千手をたたえているが、三十三所の一番のみ仏は聖観音
である ・・・ 。
 千手観音は堅くきびしいが、聖観音はあたたかく軟らかくいつくしみ
のあふるるみ仏である。この堅さとやわらかさのちがいはどこから来
ているのだろう。千手観音はカヤで漆箔をほどこしている。漆箔が鎧
となった。聖観音は白い塗料がうすれて、生地がむき出しになってい
る。これは武装にはならぬ。木肌があきらかなのは、素肌を見せてい
ると同じだ。素肌をあらわにするのは心のかげりをもかくさぬことだ。
東北のみ仏たちのわけへだてのない親しさは、こんなところにも原因
がある。観念でも理論でもなく、ただ心と心が通い合う、そこにみ仏が
ある。聖観音はそうした心の通うあたたかいみ仏なのだ。祈ればいつ
しか苦しみも涙もつつみこまれてしまっている。


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  1. 2014/04/20(日) 20:00:00|
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春の例大祭 2

H26.4.20(日)

お地蔵さんたちの頭巾とよだれかけが、新しくなっていた。
フクジュソウの撮影に来た先月16日には、まだ取り替えられていな
かったから、例大祭を前に、お色直しをしてもらったのだろう。

真っ赤な頭巾とよだれかけで飾られて、嬉しそうだったり、照れてい
るようだったり ・・・ 本当に、どのお地蔵さんも、良いお顔をしている。

 地蔵堂とお地蔵さんたち  H26.4.12(土) 撮影

H26.4.12 地蔵堂とその周り


お堂の扉が開かれていて、中に安置されているお地蔵さんにお会い
出来た。全体の姿を拝することはできなかったが、高さは72㎝とか。
木造の子安地蔵菩薩さんで、よだれかけでなく、衣を身に纏い、お腹
の所に紐を結んでいた。

 お地蔵さん  H26.4.20(日) 撮影

地蔵堂が開かれ


冊子「大蔵寺」(平成13年 宝城山大蔵寺 発行)に、地蔵堂は、明和
2年(1765年)に整備されたと記されている。お堂の前のお地蔵さん
について、吉村貞司はその著「古仏の祈りと涙 -みちのく紀行-」
(昭和58年 ㈱新潮社 発行)の中で、「あのお地蔵さまは子安地蔵、
三島通庸県令の命令で、明治16年に元船場から移されました」と説
明されたことを書き残している。

明治16年(1883年)は、県庁東側、阿武隈川の北岸舟場町と南岸
渡利字舟場の間に、15隻の船を利用した浮き船の橋(現 「松齢橋
の前身)が架けられた年。このときに、渡利側の船着き場の辺りに
在ったお地蔵さんたちが、ここに移されて来たということなのだろう。

 地蔵堂の前で

チョッと お澄まし

ほっこりとして

ときには シブく


お色直しで、一層あたたかさを増した感じがするお地蔵さんたち・・・

お顔を傷めながらも、何百年と母たちの願いや祈りを受け止めて
きた。阿武隈川の流れを見つめながら、また山の静けさに身を置
きながら、子どもたちの健やかな成長を見守り続けてきた。

これからも、穏やかな優しいお顔で、見守ってくれるに違いない。

詣でる人たちの願いや祈りも、時空を超えて繋がっていく、と思い
ながら、観音寺への石段を、一段一段ゆっくりと上った。

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  1. 2014/04/20(日) 16:04:59|
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大蔵寺の参道

H26.4.7(月)

大蔵寺の参道入口の石段を上って行くと、お地蔵さんや石碑に出会える。

 各人?各様の帽子をかぶり・・・

H26.4.7 お地蔵さん


 キリシタン地蔵?

キリシタン地蔵

このお地蔵さんの左腹のところには、十字の形が刻まれている。
現在の「福島」という地名については、蒲生氏郷公や、その客将
となった木村吉清が、大森城を廃し、杉目城を改修して福島城
命名したことに由来するとか(「福島の語源」)。

氏郷公も、木村吉清も、いずれもキリシタン大名。
とすれば、福島にも隠れキリシタンがいたのでは、と推測される。
この十字の形を刻んだお地蔵さんは、信徒の方々が奉納したも
のかも知れない。


 法華講中の石碑   「寛保四 甲子」 (1744年) とある
 
H26.4.7 法華講中碑


 女中講の石碑   女性たちの 願い 祈り 楽しみが ・・・
 
H26.4.7 女中講碑


 歩きやすく   石段の先からバイパスの間まで整備され

   H26.4.7 参道

かっては、阿武隈川の畔から歩いての参詣。大変だったと思う。
小倉寺観音は信達三十三番観音の一番札所。観音堂の厨子に
収められている聖観音立像は秘仏で、年に一度、春の例大祭に
開扉される。

今年は、4月20日(月)。
観音堂まで参道を歩いて上り、ご本尊を拝したいと思っている。

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  1. 2014/04/10(木) 12:08:30|
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執金剛神立像

H26.2.15(土)

東大寺法華堂(三月堂)の『執金剛神立像』しゅこんごうじんりゅうぞう
が、東京芸大と東京理科大の共同研究チームによりCG画像で彩色復元さ
れ、その内容が昨年12月、東大寺総合文化センターで発表された。

  天平の極彩色文様、CGで復元 東大寺・執金剛神立像
      - 朝日新聞 DIGITAL 2013年12月2日 5時24分 -

 執金剛神立像のCG画像(東京芸大提供)

    執金剛神立像のCG画像(東京芸大提供)
 
   天平の姿をCGで再現 東大寺の執金剛神立像
      - 2013/12/08 18:57 【共同通信】 -

年が明けて1月18日(土)には、BS朝日が、東大寺では最も古い建造
物、法華堂の3年間にわたる平成の大修理の記録や創建当時の堂内の様
子、1300年前に作られた執金剛神像の彩色を当時の姿に復元するまで
の過程を纏めたスペシャル番組、

「よみがえる天平の秘仏 ~復元! 東大寺法華堂の執金剛神像~」

を放映した。       番組概要

さらに今月の14日(金)には、BSジャパンが、2011年3月に放送した
開局10周年記念番組、

「遥かなる運慶の極彩空間~今甦る東大寺大仏殿 幻の巨大仏像~」

再放送した。     テレビ番組ガイド

この番組は、東大寺大仏殿に安置されていた、運慶、快慶ら慶派仏師集
団の作(建久7年(1196))になる四天王像(永禄10年(1567)の三
好・松永の戦いの際に焼失して現存しないことから、「幻の四天王像」
と言われている)の姿をCGで再現するという取り組みを追ったもの。

四天王像の高さは約13m、南大門仁王像の8.4mを超え、大仏像の14.7
mに近い高さにまで及んでいたと言われ、CG再現に当たっては、巨大仏
像の姿を忠実に模しているとされる、快慶作の高野山金剛峯寺の四天王
をモデルにしたとのこと。

彩色については、海住山寺の「木像四天王立像」をモデルにしたそうだ。

 海住山寺:四天王像

海住山寺:四天王像

二つの番組を観ていて、CG再現された、新薬師寺の十二神将像の一つ
【バサラ大将】の姿が、JR東海の『うましうるわし奈良』に掲載され
ていることを思い出した。

 新薬師寺:十二神将【伐折羅大将】

    新薬師寺:十二神将【伐折羅大将】

  『JR東海|うましうるわし奈良|キャンペーン|新薬師寺篇』

  Web特別映像

CGで再現された東大寺の執金剛神立像、新薬師寺の伐折羅大将 ・・・
鮮やかな極彩色の姿を甦らせた最先端の技術は素晴らしく、驚くばかりだ。

私は、執金剛神立像の厨子が開かれる12月に法華堂を訪ねたことがない。
そのお姿には、半世紀もの間、入江泰吉のモノクロの作品でお会いしてい
るに過ぎない。

 執金剛神像:入江泰吉 撮影
     - 『日本の彫刻』(天平時代) 1960年 ㈱美術出版社 -

執金剛神像:入江泰吉撮影(1)執金剛神像:入江泰吉撮影(2)

     解説   鑑賞上司海雲


CGで制作された極彩色の仏像は、現在私たちが接するものとは全く異なる
ように見える。逆に、1300年も前の人たちにとっては、極彩色からは遠く
かけ離れた今の姿は、想像することすら出来なかったものかもしれない。

本当のお姿は一体どちらなのかと考えたりするが、何れの時代にあっても、
人々に拝される「みほとけ」であり続けていたこや、これからもそうであ
り続けることだけは、揺るがないだろう。

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  1. 2014/02/28(金) 23:00:00|
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聖林寺の十一面観音

H26.1.31(金)

昨年の暮れ、テレビ東京「美の巨人たち」で『聖林寺 国宝「十一面観音
立像」
』が放映された。また、 先輩からは、奈良に旅行し聖林寺を訪ね
てきたというお話しを伺った。

そんなこともあって、大分以前に聖林寺を訪ねたことを思い出しながら、
このところ、久し振りに写真集などを取り出して、またお会いしている。

 十一面観音:入江泰吉 撮影
     - 『日本の彫刻』(天平時代) 1960年 ㈱美術出版社 -
            
撮影:入江泰吉(1)撮影:入江泰吉(2)

   解説・矢代幸雄 ⇒ (1) (2) (3) (4)

 十一面観音:土門拳 撮影
     - 『土門拳 愛蔵版 古寺巡礼』 1998年 ㈱小学館 -

撮影:土門拳


 十一面観音:小川光三 撮影
     - 白洲正子『十一面観音巡礼』 2002年 新潮社 -

撮影:小川光三


 十一面観音:聖林寺ホームページ

掲載:聖林寺HP


聖林寺の、リニューアルされた公式HPや、開設されたfacebook
見ていたら、

『JR東海|うましうるわし奈良|キャンペーン|聖林寺編』の中の、
「厳しさと優しさと・・・」の「十一面 - いくつもの救い」という記事に、
「ダッタン人の踊り」をBGMにした、次の動画が組み込まれていた。

「国宝 十一面観音菩薩」

短時間だったが、凝縮された画面に、こころが休まり、融け込んだ。

今日で1月も終わり。 あっという間に過ぎた、この一か月間だった。
年内はあと十一か月。 みんな、健康で、そしておだやかな表情で
過ごすことができるよう、願った。

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  1. 2014/01/31(金) 18:00:00|
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渡岸寺の十一面観音

H24.2.21(火)

渡岸寺(どうがんじ)の十一面観音に最初にお会いしたのは、
全くの偶然だった。

平成16年8月上旬、2泊3日の日程で伊吹山登山を計画した。
初日は長浜市内に泊ることにした。途中、琵琶湖手前の余呉湖
に立ち寄ったあと、国道8号を進んでいたら、大きな立看板が目
に飛び込んできた。そこには、何と「国宝・・・十一面観音・・・」と
書かれているではないか!迷うことなく即座にハンドルを切った。

風のかみさんは何のことか分からずに、「どうしたの?」と驚きの
声をあげた。説明したら、「あ、いつもの寄り道か」とすぐに納得。
気持ちを抑え、渡岸寺へと向かった。

お姿を拝し、熱いものが心の底から込み上げてきた。どのくらい
の時間が経っただろうか、満ち足りた気持ちで渡岸寺を後にした。
素晴らしい出会いに、かみさんも喜び、以来お気に入りの仏像の
一つになった。

翌年(平成17年)のゴールデンウイークに、妹夫婦がいる山口県
光市を訪ねた。途中、渡岸寺を訪ねることを目的のひとつとして
出掛けた。9カ月ぶりの再会に、二人して喜んだ。

平成18年の秋、門外不出とされていた仏像が、東京国立博物館
の特別展に、1200年の時を経て寺外初公開されることになった。
3度目の出会いに心躍らせながら、上京した。

3年間の毎年、出会うたびに感動を新たにした。次は何時お会い
できるのだろうか、その日を夢見ながら、日々おだやかに過ごし
たいと思っている。



 渡岸寺の十一面観音菩薩立像
     - 滋賀県:向源寺(渡岸寺観音堂所在)-

               
  渡岸寺:十一面観音像

     写真:「東京国立博物館:特別展 仏像
    一木にこめられた祈り」(読売新聞HP)から

 【側 面】(左)【背 面】(右)

  渡岸寺:十一面観音菩薩立像(側面) 渡岸寺:十一面観音菩薩立像(背面)

     写真:「特別展 仏像 一木にこめられた祈り」
      (2006年 読売新聞東京本社 発行)から
   
 【上 体】

  渡岸寺:十一面観音菩薩立像(上体)

    写真:滋賀県HPから

 【暴悪大笑面】

  渡岸寺:十一面観音菩薩立像(暴悪大笑面)

   写真:「特別展 仏像 一木にこめられた祈り」
      (2006年 読売新聞東京本社 発行)から

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  1. 2012/02/21(火) 17:30:00|
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大蔵寺(7)-千手観音さま

H24.2.15(水)

前々回の「動画ニュース」の中で紹介されていた、会津坂下町の
恵隆寺の立木観音は、総高8.5mもある木造千手観音立像。

一方、福島市にある大蔵寺のご本尊、千手観音の高さは約4m。
立木観音の半分ほどだが、その堂々たる姿は、立木観音同様、
接する者を圧倒する。

千手観音は、昭和43年に収蔵庫に遷されるまで、観音堂裏の
奥の院(多宝塔)に安置されていた(「大蔵寺観音堂奥之院」)。

長い間秘仏とされていたご本尊、千手観音の画像は、少ない。
手元にある本などから、3点ほどアップさせていただいた。


 
 十一面千手観音立像(1)
   - 高橋富雄著 『みちのく―風土と心』
        (社会思想社刊 昭和42年)-

  大蔵寺:十一面観音立像(1)

  大蔵寺での圧巻は、奥の院の十一面観音像である。
  三メートルを越える巨像であるが、破損がいたましく、旧態を保っ
  ているのは、化仏を除く頭部、胸部の一部、それに両股間の渦文
  の一部だけで、顔面も近世の胡粉が厚く原相をおおいつくしてい
  る。全体、惨澹たる補強によって、わずかに巨体をささえているに
  すぎない。物語に読む弁慶立ち往生のような立ちすがたである。

  それにもかかわらず、その印象は強烈である。
  胡粉や修補の、ほとんど致命的と思われる破壊をおしのけて、不
  退転の意志をおし出してくる。破壊がいたましいだけに、不死身の
  金剛力が、なおさら強烈である。

  東大寺三月堂では、見るも無残に破損した弁財天が、胴体に鉄
  輪をはめ、片目・片頬で厨子内にかろうじて立っているのをおもい
  だしていただきたい。それがかえって、トルソーのように異様な魅
  力を訴えるのだが、ここでも、このいたましい破壊は、その残され
  た魅力をなおさら引き立てているようですらある。

  これは、すぐれた中央系仏師の製作であろう。
  観音像として、これほど巨大な迫力を印象するのはめずらしい。
  目下修補中のはずであるが、下手に小ぎれいになることによって、
  このすさまじいばかりの迫力が薄められるようなことのないように
  心から願っておく。




 十一面千手観音立像(2)
   - 「福島県の文化財-国指定文化財要録-」
      福島県教育委員会(平成元年 発行) -

  大蔵寺:千手観音立像 (2)

   カヤの巨材を用いた一木造りで、今は地付部が朽損して、当初の
  像高より低くなっている[398.4cm]。
   堂々たる太づくりの体貌で、大きく丈の高い髻(きつ)の形にも特色
  があり、面相・体貌にも力強い張りがあり、作期は一〇世紀後半と
  みてよい。東北地方の中では古作・大作の一つとして注目される作
  品である。
   左膝をやや遊び足にして立つ姿であるが、今は前面右足の大部
  を後補し、形制のまとまりを欠くのは惜しい。もっとも、裳の折り返し
  部の正面の彫りには勝常寺本尊の脇侍像[注:月光菩薩立像・日
  光菩薩立像]に通じるものがあり、興味深い。両足の間や背面の天
  衣などに渦文がみられ古様を伝える。
   なお、頭上面中の三面は、一二世紀末のもので、そのころすでに
  修理が行われたことを知りうる。 
                 
  【注】 勝常寺本尊:木造薬師如来の脇侍像
       日光菩薩立像・月光菩薩立像


     日光菩薩立像   月光菩薩立像

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  1. 2012/02/15(水) 22:30:00|
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